2016年10月21日金曜日

波佐見焼

有田焼・伊万里焼ではなく

波佐見焼について

波佐見焼の生産地は長崎県中央北部に位置し、長崎では数少ない海に接しない町の波佐見町です。
約15年前に、車で都内から神戸港へ行き、無謀にも予約なしでカーフェリー(ダイヤモンドフェリー。2011年に株式会社フェリーさんふらわあに合併し解散。)に無事チェックインし、約12時間を船内で過ごし大分港で九州に上陸しました。それから各地を滞在したなかで波佐見の地を訪れ宿泊し、波佐見焼を堪能した思い出があります。


ダイヤモンドフェリー
ダイヤモンドフェリーと神戸港(六甲アイランド)
ダイヤモンドフェリー
ダイヤモンドフェリーと大分港

波佐見焼の平成の世における和食器の出荷額は国内の約20%にも及んで、長崎県で最大、国内で第3位の規模です。しかし、波佐見焼の名はあまり知られていないのではないでしょうか。
平成11年(1999)には波佐見焼開窯400年祭が催されています。
骨董の磁器製品で「古伊万里・伊万里」としているものの中に、多くの波佐見焼が含まれているのです。代表的なのものは「くらわんか手」ですね。

波佐見焼の磁器生産の始まり

波佐見焼の磁器生産開始にも、李朝の陶工が係わっていると推測されています。
有田・伊万里と同様に開始は古く、平成5年(1993)の下稗木場(しもひえこば)窯跡の発掘調査によって、町内最古の登窯であることが明らかになっています。その結果、窯が営まれていた年代は1590~1610年代頃と考えられています。
畑ノ原(はたのはら)窯跡の調査では、陶器と磁器を同時に焼成していたことがわかりまして、窯の操業年代は1610~1630年代頃と考えられています。

陶器生産の窯の廃止

佐賀藩有田・伊万里では寛永14年(1637)藩による窯場統合によって陶器生産主体の窯が廃止されて、染付磁器の生産が主流となっていきます。
大村藩波佐見でも同様になっていきますが、青磁を中心に生産されていきます。
「これからの時代は磁器だ!」と考えたのでしょうね。


青磁の誕生からその後

平成9年(1997)に三股(みつのまた)青磁窯跡の発掘調査が行われました。
出土した大量の青磁は、釉薬・模様の技術が肥前国でトップレベルであったことが確認されています。なお、この窯で生産されたと考えられるものが、滋賀県の彦根城家老屋敷跡、東京都の汐留遺跡龍野藩脇坂家屋敷跡、新潟県の高田城跡、宮城県の仙台城跡等から出土していますので、かなりの高級品だったと考えられています。
その後は、清国(現、中国)の内乱と禁輸により、肥前の焼き物が代わりとなって、長崎出島からの輸出が約40年間続いていき、生産の発展を遂げています。
磁器を選択しておいて良かったですね。

くらわんか

清国が安定すると肥前の焼き物の輸出が衰退したので、国内向けの日用食器を生産していきます。「くらわんか手」です。
波佐見焼といえば「くらわんか手」ですね(個人の見解)。
滋賀県、京都府、大阪府を流れる淀川の三十石船に対して商いをする「くらわんか舟」で使用された食器が、波佐見焼の使い捨てされる安い日用食器だったとのことです。くらわんかの名称は、そこから名付けられたとの説があります。どうなのでしょうかね?
くらわんか手は骨董市等で売られていますが、ちょっと普段使いするのにはお値段が高い気がします(個人の見解)。でも欲しいですね。
今回は江戸時代までのお話で終わります。
次回の波佐見焼のお話はこちらからどうぞ。

参考文献 : 中野雄二 1999 『波佐見焼400年の歩み』 ,波佐見焼400年祭実行委員会
        山口浩一ほか 1996 『波佐見青磁展・くらわんか展』, 世界・森の博覧会波佐見町運営委員会
管理者 : Masa



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