2018年7月30日月曜日

雨後の大玉スイカと小玉スイカの様子

台風が接近したものの被害軽微
土曜日は台風12号が接近した影響で、17日ぶりの雨となりました。止み間があったものの、ザッと強く降ることが多かったので降水量がまとまり、農作物にとっては恵みの雨となったことから一安心です。
 さて、台風の接近が終わった日曜日、1日しか作業が出来ないので、週末ファーマーの農作業は早い時間から開始しようと段取りました。が、民間気象会社の天気予報を見ると、東から西に向かう異例の台風のせいで、大気のぶつかりから南北に細長い線状降水帯が次々に発生する予報となってしまい、少し様子見としました。
様子を見たものの、線状降水帯が14時までは次々に発生する予報だったので、雨が完全に止むのをあきらめて農作業行きの準備を開始!
 雨が降ったり止んだり、ギラギラと晴れたりする不安定でかなり蒸し暑い中での農作業開始となりました。
 台風接近による被害はというと、ゴーヤと紫ツルムラサキ2か所のネットの支柱が風で折れて、ネット半分が横倒しになっていたことぐらいで、ツルは切断されていなかったので軽微でした。
長レイシは一般的なゴーヤより色が薄いです
長レイシは一般的なゴーヤより色が薄いです

ゴーヤは一般的な種類と「長レイシ」の2種類。長レイシは文字通り長い(30cm以上になる)けれど細いので、重さはそんなでもありません。






雨後の小玉・大玉スイカの様子
心配なのはスイカ達です。
記録的な無降水、もしかしたら無降水の最長記録?が続いた当地では、この久しぶりの降水でしかもしっかりとした雨量があったので、スイカも水分をたくさん取り入れていることでしょう。実にも水分が多く行き渡ったと思います。
そのことで心配なのは、かなり水分が不足していた中で硬くなっていたスイカの実の皮が、じゅうぶん過ぎる水分を得たことで、内部の水分量に耐え切れなくなって皮が裂けてしまうことです。
さてさて、小玉スイカの様子を見に行くと、ツルの先のほうに生っていた直径15cmほどのスイカが1個、パカッと割れてしまっているのを発見!果肉が赤くなくまだ白いので未熟です。熟しているのなら割れて間もないから食べてしまっても良いでしょうが、未熟なので勿体ないことに廃棄となり残念。せめて虫のエサにと草むらに。
さらにもう1個割れているものを発見。せっかく大きく育ってきたのに廃棄です。
あとは1個、横に亀裂が3本ほど短く入って裂け始めているものがありました。これは割れる前触れだと思いますので様子見とします。
ここまでが初期に植えた小玉スイカのエリアでの出来事。
ほかに2期、3期と植えたエリアがあって、2期目ではようやくスイカの実が大きくなってきていましたが、1個に亀裂が小さく入っているのを発見してしまってがっかり。これも様子見でそのままにしておきました。

本日、パカッと割れてしまっていたとの報告がありました。やはり駄目です。



収穫はというと、小玉スイカの域を超えている大きさのものがあったので、割れてしまうのを危惧して、収穫時期にはまだ早いのですが収穫してみました。これは収穫時期の目安を示す、ツルと実をつなぐ所の巻きヒゲが枯れるということにはなっていなかったので、出来具合がちょっと心配です。3、4日間常温保存で追熟させてから冷蔵して食べてみることにしました。
湿度100%の中、汗だくの雑草抜き。
湿度100%の中、汗だくの雑草抜き。

大玉スイカのエリアは、株元近くに雑草のオヒシバ・メヒシバ・スベリヒユが勢い良く育っていたので、手で引っこ抜いて除草です。雨後・雨中なので雑草が通常よりは抜けやすく少し助かりましたが、立ったりかがんだりで腰には大きな負担となりました。
幸いなことに大玉スイカには亀裂が見当たらず今日は一安心ですが、明日以降用心深く見ていく必要があります。
昨年はパカッと真っ赤に熟したのが割れていて、カブトムシ達の餌になっていましたし。
大玉スイカは順調に生育中
大玉スイカは順調に生育中

今年のスイカは伸びが遅くて、実の数が少なくなっています。やはり雨が極端に少なかったせいでしょう。
植え付けた数が多いので、昨年並みには収穫できると思いますが。
収穫した夏野菜と小玉スイカ
収穫した夏野菜と小玉スイカ
これから育ってくれることを期待します。







管理者 : Masa
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2018年7月29日日曜日

福島県の焼き物3「蚕養焼」

現在は焼かれていない(廃窯)焼き物のご紹介です。
須賀川市・会津若松市・郡山市・喜多方市など、特に猪苗代湖の北西・西・南東側に多くの焼き物の窯が存在していました。
現在それらは「会津本郷系」、あるいは福島県の焼き物と分からずに、「東北系」「古伊万里・伊万里」として流通しています。お手元にある「伊万里」もそうかもしれません。
これからご紹介する「蚕養焼」は、窯跡の発掘調査報告がされている近世・近代の焼き物で、しかも昭和48年(1973)と平成26年(2014)の2度調査されています。
東北地方で近世・近代の窯跡の発掘調査がかなり少ない中で貴重です。
蚕養焼の窯跡の現在の様子
現在は白虎通りと宅地になっている蚕養焼の窯跡の様子

蚕養(こがい)焼
窯の所在地、開窯と廃窯時期
現在の福島県会津若松市蚕養町に、江戸時代の文政13年(1830)、木村佐内が会津藩の許可のもと窯を開きました。
終わりは昭和初期(1926年~1930年代前半?)とされています。

焼いていた製品

磁器製品で、碗、蓋、皿、鉢、盃、蕎麦猪口、急須、徳利、擂鉢、合子、仏飯器、段重、植木鉢などです。
中世から陶器製の擂鉢が多く流通していた中で、磁器製の擂鉢は比較的珍しいのではないでしょうか?切込焼のものは文献で見たことがありますが。

江戸時代の蚕養焼

開窯9年後の天保7年(1839)には会津藩の御用窯になり、会津本郷焼で磁器の焼成に成功した伊藤伊兵衛の息子である陶吾の弟子、佐藤新兵衛(瀬戸師の棟梁)が蚕養焼を盛んにしたといわれています。
蚕養焼は江戸時代末期(幕末)において「蚕養瀬戸」として「會津名物類聚」に記されています。
「會津名物類聚」は大須賀清光(文化5年~明治8年、1808~1875)が嘉永7年・安政元年(1854)頃に出版した『會津千代松袖鑑』に収録されている番付で、会津地方の名産品が記されているものです。
この番付には大関、関脇、小結、前頭があり、東にあたる関脇はなんと「本郷瀬戸」です。会津本郷焼の瀬戸物です。もう一方の西にあたる関脇は地張煙筒で、煙筒とはキセルのことでしょう。そして焼き物では他に、前頭の「慶山陶器」があります。慶山焼(会津若松市東山町)は陶器です。
そして「蚕養瀬戸」は西にあたる前頭の上の方にあります。瀬戸ですから瀬戸物=磁器。磁器生産が主ということを表しています。
ちなみに東の大関は「會津蝋燭」、これは現在の会津絵ろうそくでしょう。西の大関は「若松塗物」で、これは会津塗(漆器)ですね。
番付には出ていませんが、天保年間(1830~43)頃開窯で、蚕養窯跡の約2km南西の会津若松市材木町に存在した材木町焼が気になるところです。明治時代初めまで続き、「材木町窯跡」では、陶磁器(磁器有り)が発見されているとのことです。
会津若松市北会津町にあった上荒井新田焼も気になります。文政6年(1823)に佐藤伊兵衛の門弟が磁器の窯を再興しているのです。
これらは蚕養焼との違いはあったのでしょうか?
写真1. 江戸時代後期の蚕養焼と思われる蕎麦猪口
写真1. 江戸時代後期の蚕養焼と思われる蕎麦猪口

この写真1の唐草文蕎麦猪口は江戸時代後期のものと思われます。
絵付けは天然呉須の手描きで、肥前系(古伊万里)の同種のものより絵付けが少し素朴です。それが魅力的なのですが。
描かれた葉はデフォルメというか一筆書きで元の葉の形状を失っています。蝶のようにも見えます。
この文様が蚕養焼の特徴の一つと考えられています。
蛇の目高台は施釉されていないので、ここで胎土をみるとだいぶ褐色の不純物が混入しているように見えますが、これは焼成時の付着物のようです。器を回転させて調整した際に出来た小さな穴に付着物が入り込んでいると思われます。念のため漂白して、クリーニングを念入りにしましたが落ちませんでした。
なぜ不純物の付着なのかもしれないと判断したかというと、この蕎麦猪口は欠けている箇所が多くありまして、そこを見ると胎土は白く不純物の含有が少ないからです。
なお、底部の写真を見て黒く薄い文字に気付かれた方がいらっしゃるかもしれません。これは汚れではなく、所有者か管理を示す判読不明の墨書が薄らと残っているものです。
磁肌は白く仕上がっていて外見は上等です。
さて、この写真の蕎麦猪口は文様の感じからみると蚕養焼と考えられますが、胎土が良(白)過ぎ?なため確証はありません。周辺の窯の発掘調査がまだ行われていないので、比較検討が出来ないからです。
「蚕養焼と思われる」としておきます。
なお、産地の疑問についてはさらに後述しています。

ここで、文様の唐草文について
写真1の文様でもう少し丁寧に描かれている古伊万里などでの文様を「萩唐草文」と呼ぶのですが、「萩唐草文」という名称について疑問があるので、ここで考えてみます。
唐草文について以下引用です。

「唐草の名称の由来は明らかではない。マメ科の馬肥(うまごやし)という蔓草を文様化したとも、唐風の草の文様という説もある。いずれにしても曲線状に蔓を表した文様であり、古くからみられる。」(2014大橋康二)

いずれにしても曲線状に蔓を表した文様である」

そうすると、唐草文という呼び方で良いのでしょうか?
萩は枝垂れるけど蔓が無いのです…。
萩唐草文に花(主に大きく描かれる一輪ずつの花)が付くと花唐草文ですが、これは唐草文に牡丹(牡丹唐草文となる)など別の種類の花が描かれるものです。
萩唐草文は、そもそも萩を図化しているのでしょうか?
葉と葉脈とされているものは果たして本当に萩の葉なのでしょうか?
萩唐草文の蔓から無数に伸びる巻きヒゲ状のものは何でしょうか?
実物の萩を観察するとそのようなものはありません。
萩を図化したとして実物を文様(絵)に無理やり置き換えてみると、巻きヒゲ状のものは簡略化された葉で、葉と葉脈とされているものは花。
そして蔓状に描かれる枝。萩の木は枝垂れますが、蔓にはなりませんので置き換えられません。

萩唐草文に似る植物で、しっくりくるのは蔦(ツタ)。
葉は文様(絵)にそっくりで、巻きヒゲ状のものはまさに巻きヒゲで、実物はその先に小さな吸盤があります。なんと、古伊万里でも吸盤状のものが描かれていたりします。
しかも蔓性。
萩と蔦の絵を描いたらどちらが「萩唐草文」に似ているか…。
唐草文は元々蔦植物を図案化した文様だし…。
なかには、「蔦唐草文」と呼んでいる方もいらっしゃいます。ごく自然に。
蔦(ツタ)。唐草文にそっくり。
蔦(ツタ)。唐草文にそっくり。

蔦(ツタ)
蔦(ツタ)

蔦(ツタ)
蔦(ツタ)
蔦(ツタ)。やはり唐草文にそっくり。
蔦(ツタ)。やはり唐草文にそっくり。


疑問はここまでにして、一般的(骨董界)には萩唐草文で通っていますのでそのようにしておきます。

なお、萩唐草文は時代が下ると文様を簡略化して描いていると考えられます。最終形の一つは微塵唐草文でしょう。微塵唐草文に至る過程で、葉の描き方が変化したと思われる文様を捉えて、「松葉に微塵唐草文」と表現する方もいらっしゃいます。なるほど、三階松・三蓋松(さんがいまつ)の松一つ分に見えますが、松葉ではなく、蔦の葉が変化したしたものだと思います。





蚕養焼蕎麦猪口の産地決定に大きな問題が
萩唐草文の疑問に続いて、産地決定について疑問というか問題が。
宮崎県の切込焼の窯跡(宮城県文化財保護協会 1990)で出土した飯茶碗の一つに描かれている文様が、なんと先述した蕎麦猪口(写真1)のものとそっくりなのです。
蚕養焼の特徴の一つとされている文様と。
これでは文様を頼り(似ている)にした産地決定は不確実ということになります。
やはり胎土まで見ないと駄目ですね。しかし、本来は割れ口で胎土を見ないと駄目ですから、なかなか困難です。さらに、精製品と粗製品、焼かれた時期でも違うのでなんとも難しいところです。走査型電子顕微鏡などで胎土分析をしなくては分からないのではないでしょうか。
さて、切込焼の唐草文、こちらの文様は「胡蝶唐草文」と記載してあります。胡蝶のほうがイメージ的には合っていますね。先述した「松葉に微塵唐草文」とされている「松葉」に葉脈が描かれないものに類似しています。もしかしたら「松葉」部分を蝶のデフォルメとイメージして描いているのかもしれません。
また、飯茶碗の蓋2枚にも同様の文様がありますが、こちらは「巻きヒゲ」の描き方が少し違って丸みが強く密になっています。さらに、この内1枚は「巻きヒゲ」の描き方が、楕円形を半分に切ったようなものになっています。
これは、後に述べている微塵唐草文出現の初期段階にあたると考えています。
器種を変えて蚕養窯跡出土の長皿をみてみると、世間で切込焼とされている長皿と文様が似るものがあります。掲載されている蚕養窯出土のものは小さめの破片で少ないので、はっきりとはしないのですが。
世間で切込焼の長皿とされているものは、切込焼の窯跡の調査報告書では掲載されていませんので、今後調べていきます。

戊辰戦争・会津戦争での蚕養焼
慶応4年・明治元年(1868)~ 明治2年(1869)に新政府軍(明治政府)と旧徳川幕府勢・奥羽越列藩同盟の戦いにより会津は戦場となり、窯業は一時停止となります。
窯跡の約100m南側に位置する蚕養國神社近くの畑では、埋葬を待つ22名の旧徳川幕府勢の戦死者があったなど、朝敵となった会津藩、現在の会津若松市内は悲惨な状態となったそうです。
昨年、蚕養國神社周辺を訪れましたが、往時をうかがい知ることはできませんでした。

明治時代以降の蚕養焼

会津戦争後、松平容保の嫡男である容大に家名存続が許されました。それにより転封先に立藩した斗南藩(のち斗南県、現在の青森県東部)から戻った元藩士の伊藤辰右衛門など6名で、民窯(民間の窯)として再開されます。
写真2. 江戸時代末期~明治時代初期の蚕養焼と思われる蕎麦猪口
写真2. 江戸時代末期~明治時代初期の蚕養焼と思われる蕎麦猪口

この写真2の蕎麦猪口も、写真1と同じ唐草文で、江戸時代末期~明治時代初期のものと考えられます。
『年代別 蕎麦猪口大事典』に「会津蚕養窯」として掲載されているものに文様がかなり類似しています。掲載されているものは1800~60年代、「唐草文」としてあります。
絵付けは天然呉須を使用した手描きです。
写真1の文様よりも簡略化されて描かれていまして、葉脈と長い蔓は残っています。巻きヒゲは横四段で逆U字形に連続して描かれ、葉は一筆書きの蝶のようになっています。
蛇の目高台で見ると汚れとは違って、胎土にはかなり褐色の不純物が混じり、磁肌はくすみ、灰白色に近い色調です。この蕎麦猪口は胎土が伊万里焼、瀬戸・美濃焼とは違うので、蚕養焼あるいは周辺の窯産なのかもしれません。

絵付けに合成呉須(ベロ藍)
明治13年(1880)には会津本郷焼で顔料に合成呉須(ベロ藍)が使われ始めます。同様に蚕養焼でも使われました。
明治15年~20年(1882~1887)には窯が3基稼働し、蚕養焼は最盛期を迎えています。最盛期を支えたのは型紙刷絵による絵付け、いわゆる印判です。
写真3. 明治時代の蚕養焼と思われる蕎麦猪口
写真3. 明治時代の蚕養焼と思われる蕎麦猪口

この写真3の明治時代の蕎麦猪口は、ベロ藍を用いて手描きで絵付けされています。高台は蛇の目高台です。
長い蔓は残っていますが、葉脈は省略されて描かれていません。巻きヒゲは横五段で逆U字形に連続して描かれ、葉脈が無い葉はもはや一筆書きの蝶で、写真2のものよりも少なく描かれています。
蛇の目高台で見ると胎土には褐色の不純物が混じりますが、写真2のものよりも少ないです。磁肌の白さは写真1よりも程度が落ちますが写真2よりはかなり上等です。

蚕養窯跡の発掘調査報告書に掲載されている、蕎麦猪口・碗・碗蓋・小皿・鈴徳利に、蔓を除けば極めて類似している文様があります(2018.8.1追記)。

これも胎土と文様から蚕養焼と思われますが確証はありません。
これに類似する文様ですが、高台が輪高台(ベタ高台)の蕎麦猪口を見たことがあります。その作りと時代から考えると瀬戸・美濃焼だと思いました。
類似する文様があるということです。

ここで少し違う文様を見てみます。著作権の問題で写真を転載できませんので文字だけで。
『会津のやきもの [須恵器から陶磁器まで]』に掲載されている、古川喜一郎氏による明治中期の「染付唐草文蓋付壺台」です。
「蝶」的文様と「蔓」がこれまで見てきたものと同類なのですが、「巻きヒゲ」の描き方に違いがあり、渦繋ぎ文あるいは七宝繋ぎ文を上下で分裂させて偏平にしたような横二重鎖繋ぎ状に描かれていまして、これは別物になっています。ちなみに、この蝶的文様に葉脈はありません。
この文様で、蝶的文様が描かれないものは、出土した蚕養焼の皿の絵付けに多く見られます。

明治時代の会津本郷系?の向付あるいは小杯・小碗
明治時代の会津本郷系?の向付あるいは小杯・小碗
底部のトチン痕
底部のトチン痕

この写真4は明治時代の向付あるいは小杯・小碗です。手描きでベロ藍を用いています。
5客あるのですが、内1客は蛇の目高台の中心を厚く削りすぎているため、なんと小さな穴が開いています。中心に施釉してはいるのですが、残念なことに掛け方が雑なので釉薬が掛かっていない所が穴と重複してしまっています。
液体を入れると漏れてしまいますので、汁物を入れない向付としてなんとか使われていたのでしょう。
底部は全体的に薄い造りで、残りの4客も照明に底を向けるとまるで蛍焼のように光が透けて見える薄さです。
胎土には褐色の不純物が少々混じりますが、写真3のものよりも少ないです。磁肌の白さは写真2よりも上等です。
窯道具のハマは底部の痕跡からみると平面は扇形です。調査報告書で窯道具を調べてみましたが、該当するものはありませんでした。ですので、今のところ蚕養焼の可能性が有るという程度で、会津本郷系のものではないかと考えています。

写真5. 会津本郷系?の蕎麦猪口
写真5. 会津本郷系?の蕎麦猪口

写真5は明治時代の蕎麦猪口2点。手描きでベロ藍を用いています。
これは今までのものより時代が下った蕎麦猪口で、外面の文様が退化しています。
器面を文様で埋め尽くすために、巻きヒゲを整列させた文様です。この文様に類似するものが結構出回っているので、今後詳しく調べてみる必要があります。
この2客の蕎麦猪口は一見同じようですが、胎土と底部の作りが大きく違っています。この違いは時期差ではなく、おそらく生産地が違うのだろうと思います。
写真左側のものは比較的胎土が白く、右側のものはくすんでいます。底部の整形方法も違います。
文様をみると外面は微塵唐草文だけで、蝶的な葉と蔓は無くなっています。
この文様を石垣文としているものもあります。石垣文と似ていますが、意図しているものは別物だと思います。

写真1~4には内面に文様がありませんでしたが、この2点の口縁には四方襷が簡略化されたような網目文に簡略化した花、見込みには簡略化した火焔宝珠文が描かれています。いずれも簡略化文様です。
調査報告書での掲載が無い文様なので、これは蚕養焼の可能性があるか分かりません。ただし、文様の系統と胎土からみると会津本郷系の焼き物である可能性が高いと思いましたので、文様の変遷をみる上でもここに掲載しておきました。
写真6. 明治時代の鈴徳利の微塵唐草文
写真6. 明治時代の鈴徳利の微塵唐草文

写真6は明治時代の鈴徳利のアップ写真です。
この鈴徳利の文様は微塵唐草文で、型紙摺り(印判)です。
「巻きヒゲ」が密に描かれ(刷られ)、葉脈が描かれている葉が散らばっています。
会津本郷焼とされていたものなので、微塵唐草文の参考に掲載しました。口縁の作りが一般的な会津本郷焼のものとは違いまして、これは口に縄を掛けると外れやすい形状です。

なお、同様の文様は「蚕養窯跡」発掘調査報告書に掲載されている小皿にあります(2018.8.1追記)。
また、「長沼焼(※写真7以下参照)」の大皿にも同様の文様があるのを、須賀川市立博物館で確認しています(2018.10.25追記)。
同種のものが油徳利として、北関東地方の歴史民俗資料館などの展示物に見られますので、会津地方で販売された美濃焼の可能性があります。
この徳利については今後調べますので、分かり次第追記したいと思います。

写真7. 微塵唐草文の長沼焼小皿
写真7. 微塵唐草文の長沼焼小皿

写真7は、微塵(ミジン)唐草文の参考のため掲載しました。
福島県須賀川市長沼で焼かれていた明治時代の長沼焼の小皿で、型紙摺り(印判)です。同種のものを須賀川市立博物館の企画展示で見てきました。蚕養焼と密接な関係にあると思われます。
微塵唐草文を「ミジンコ文」と紹介されているのをたまに見受けますが、ミジンコは水中プランクトンなので違うと思います。
この微塵唐草文には葉は描かれていません。

また、微塵唐草文で蔓がないものを「鹿の子文」としているのもありますが、文様の鹿の子とは違いますので、間違えだと思います。





唐草文の変遷

蚕養焼の鑑定の一つになる唐草文の変遷をみてみると、蔓が残るものの巻きヒゲがU字状や逆U字状で強調されていき、最後には蔓が消滅して巻きヒゲが強調された文様になったと思われます。
写真1~5の蕎麦猪口では、1の時代が最も古く、2―3―4―5と時代が新しくなっていっていると考えられます。
なお、このブログでの文様からみた変遷は、明治時代の既出の磁器編年からみたものではないことをお断りしておきます。後日、磁器の編年から再考を試みたいと思っています。

蚕養焼の終わり
明治20年(1887)には日本鉄道が現在のJR東北本線の郡山駅まで、その後は明治32年(1899)に岩越鉄道が現在のJR磐越西線の会津若松駅まで開通させたことにより、蚕養焼の販路拡大と共に瀬戸・美濃焼の安価で質が高い製品の流入が本格化します。この瀬戸・美濃焼製品の販路拡大は、東日本に存在した数少ない磁器製品の産地に大打撃を与えたと思っています。
そして競争に負けてしまった蚕養焼は徐々に衰退していきました。
大正時代末期(~1926)まで伊藤辰吉氏によって続けられましたが、昭和初期には廃窯となってしまい、約100年の歴史に幕を閉じます。


蕎麦猪口からみた蚕養焼に関連すると思われる唐草文の変遷が気になっていたので、今回はそのことが中心となりました。今後、蚕養窯についての詳しい内容をアップしていきます。

追記は、何か判明し次第行っていきますので(2018.8.1追記)。

次は、福島県における磁器の長沼焼、勢至堂焼、福良焼、湖南焼について(予定)です。




参考・引用文献
     : 会津本郷陶磁器業史編纂委員会 1969『會津本郷焼の歩み』, 福島県陶業事業協同組合
     : 会津若松市 2000『会津のやきもの [須恵器から陶磁器まで]』会津若松市史14 文化編1 陶磁器
     : 会津若松市教育委員会 1984『蚕養窯跡発掘調査概報(1)』会津若松市文化財調査報告第10号
     : 会津若松市教育委員会 2000『蚕養窯跡発掘調査報告書』会津若松市文化財調査報告書第15号
     : 会津若松市教育委員会 2015『蚕養窯跡』会津若松市文化財調査報告書第146号
     : 大橋康二 2008『年代別 蕎麦猪口大事典』, 株式会社講談社
     : 大橋康二 2014『文様別 小皿・手塩皿図鑑 佐賀県立九州陶磁文化館柴田夫妻コレクション』, 株式会社青幻舎
             : 古賀 孝 1974『切込焼』, 株式会社雄山閣
     : 芹沢長介 1978『宮城県加美郡宮崎町切込西山磁器工房址 切込』東北大学文学部考古学研究会 考古学資料集 別冊1
             : 日本歴史大辞典編集委員会 1973『日本史年表』, 株式会社河出書房新社
     : 松岡寿夫 2003『藍のそば猪口700選』, 株式会社小学館
     : 松宮輝明 1985『福島のやきものと窯』, 歴史春秋出版株式会社
     : 宮城県文化財保護協会 1990『切込窯跡 近世磁器窯跡の調査』宮崎町文化財調査報告書第3集
     : 料治熊太 1973『そば猪口』, 河出書房新社
       : 渡辺到源 1975『ふくしま文庫15 会津の焼物』, FCT企業



管理者 : Masa
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2018年7月24日火曜日

畑での飲料を自作の経口補水液的飲料にしてみました(熱中症対策)

いつまで無降水で酷暑が続くのでしょう。そろそろ農作物に水分不足の影響が目立ってきそうです。

今回の週末ファーマーの農作業は2日間丸々作業が出来たので、やりたかった事がだいぶ終わって満足です。酷暑がひどいので15分作業をしたら20分休憩というペースでの農作業となりましたが。
小玉スイカのエリアの除草をしていきます。 スイカは左側と右側奥の三か所。
小玉スイカのエリアの除草をしていきます。
スイカは左側と右側奥の三か所。

小玉スイカの根張り対策で除草

降雨が10日間以上も無いのに小玉スイカは育ってきています。土中には少ないですが水分があるからです。
そして、だいぶ小玉スイカのツルが伸びてきて、同じように雑草も増えて育ってきています。
雑草があると小玉スイカのツルが雑草の上を這うようになってしまい、ツルから出てくる根が土に達せず成長が悪くなります。
3か所に分けた小玉スイカの栽培場所のうち2か所は雑草が伸び放題となっています。
今回の週末ファーマーの農作業ではこの場所の除草をメインとしました。
雑草に埋もれた小玉スイカ畑
雑草に埋もれた小玉スイカ畑

雑草で多いのはスベリヒユ。これは肉厚な茎と葉が横に広がって、小玉スイカの根張りを妨げてしまいます。スベリヒユは乾燥に特に強く、刈り取った時に回収からもれた茎が再び根を下ろしてしまう生命力の強さです。
三角ホーでは根元を狙って根こそぎの除去を心掛けますが、酷暑で集中力が鈍る中、切断しやすい茎だけが切れて根が土中に残ってしまうことがあります。このため二度手間ですがしっかりと根を除去していきます。
小玉スイカのツルがまだ伸びて来ていない所は三角ホーで除草しましたが、伸びて来ていないと思ったのに雑草に隠れていたりして、うっかり何本かの横ツルを誤って三角ホーで切断してしまいました。
また、ツルはとても折れやすいので、ツルを持ち上げた時にポキッと何本か折れてしまい勿体ないことに。けれど、次々に横ツルが出てくるので、ツルを間引いたと思うことにしました。
除草終了。さっぱりしました。黒土が乾燥で灰色の火山灰みたいになっています。
除草終了。さっぱりしました。
黒土が乾燥で灰色の火山灰みたいになっています。


ツル・葉の下の雑草は一つ一つ掴んで根から引っこ抜いていき、除草が終了。
根元と根を下ろすであろう所々にケイフンの追肥をしておきましたが、降雨がないと追肥が浸透しないので今のところほぼ意味がない状態です。
小玉スイカがあちこちに生っています。
小玉スイカがあちこちに生っています。

小玉スイカは直径15cmほどになっているものがあり、前回の農作業の時から成長していないように見えたので1個収穫してみました。
本来ならツルからスイカに伸びる巻きヒゲが枯れてから収穫するのですが、これは枯れていませんでしたので試験的な収穫です。ただし、この近くの巻きヒゲは枯れているものがありました。
昨年は雑草でスイカが隠れてしまい、出来ているのが分からなくて収穫初回のタイミングを逃した結果、割れたスイカがカラスとカブトムシに喰われるという勿体ないことになっていました。
今年は雑草とカラス対策が万全なので問題ないでしょう。
初物の小玉スイカ。
初物の小玉スイカ。

さて、収穫したスイカを夜に早速食べてみたところ甘みがあったとのことで、次回はそろそろ本格的な収穫開始となりそうです。






自作の経口補水液的飲料

この酷暑の中での趣味的農作業(週末ファーマー・祝祭日ファーマー・シェア農園・シェア畑・家庭菜園)でも小まめな水分補給が重要です。
いつもはウォータージャグにブロック氷を入れてギンギンに冷やした緑茶を飲んでいたのですが(約2人で約6リットル)、今回の農作業最終日は自作の経口補水液的飲料にしてみました。

経口補水液は、熱中症などで脱水症状になった場合の飲料なので、常用するものではありません。
これをふまえての自己流なので、以下は個人の忘備録です。

緑茶は利尿作用があるということで、酷暑の中の飲料としては適さないとのことですが、発汗と蒸発で水分が身体から失われているので、利尿作用なんて全く効きません。
農作業中の食べ物は飴さえも舐める気にならないので、ご近所さんから差し入れが無い限り飲料の緑茶だけの補給なのでした。
しかし、前回までの農作業では熱中症による強めの頭痛が度々起きていたので、飲料による対策をしてみようと考えたのです。もちろん、作業は無理せずに行うことを基本として。
ある医師による経口補水液を作る例を参考にして、ベースは水だけではなく、自己流で緑茶の2パターンにしてみました。

緑茶・水は2リットルを基本として、砂糖(グラニュー糖)を80グラム(大さじ約9杯分)!量が多いのではないかなぁと思いつつも、これぐらいの量がないと効かないのかもと思い、入れてみました。甘味料入りのジュースはこんなものだろうし。
食塩は6グラム(小さじ約1杯分)!これも2リットルでこの量。6リットル分を用意するので3倍になります。となると、一日の食塩摂取量をこの飲料だけでかなりオーバーすることになるなぁと思いつつも、このぐらいの量がないと効かない気がするし。
熱中症の予防対策ではなく、熱中症になった後の対策なので、これでいくことにしました。

さて、農作業開始後まもなく、ものすごい大量の発汗、息切れ、顔の紅潮、だるさが現れましたので、自作の経口補水液的飲料を飲んで日陰で休憩をとりました。
身体からは水分と塩分やミネラルがだいぶ抜けてしまっているのでしょう。
自作の経口補水液的飲料は甘さが口に残るのですが、緑茶よりも身体に良いと思い込ませてあるので、気分的にも熱中症になった後の対策になっている気がします。
2回、3回と大量発汗の休憩ごとに飲むと、気のせいか緑茶だけの時よりも身体が楽な気がしてきました。頭痛もかなり減少傾向です。医学的な検証は全く出来ていないので、何とも言えませんが。

この酷暑の中、無事に週末ファーマーの農作業を終えて、次回に繋げることが出来ました。

高血圧・血圧高めのことを考えて、今後は自作の経口補水液的飲料に入れる砂糖と食塩の量を調整していこうと思っています。





管理者 : Masa
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2018年7月17日火曜日

酷暑の中の週末ファーマーと祝日ファーマーの農作業

オクラがなかなか成長しない

オクラがなかなか成長しません
オクラがなかなか成長しません

約一か月半前、畑に種を一粒ずつ植えたオクラがなかなか成長(伸びて)していきません。
伸びていないのに花が咲き、オクラの実が次々に出来て収穫する事態になっています。
オクラは美味しく出来上がっています。
オクラがなかなか成長しませんが、実はなってきています。
オクラがなかなか成長しませんが、実はなってきています。

密に種を植えていませんが、より良く成長したものを残すために間引きを2回に分けて行って、間引きしたのは無駄にせず移植してあります。

昨年までのオクラ栽培は、育てたオクラで出来た種を使って育てていました。それで問題はなかったのですが、昨年はオクラの実が出来始めてからもなかなかオクラが成長しませんで、ある程度の日にちが経ってから順調に伸びていきました。
これは自家製の種のせいかと思い、今回は市販のオクラの種2種類を購入して栽培してみたのです。
しかし今回もオクラの成長が遅く、株は高くてもまだ40cmほどしかありません。オクラ栽培のイメージとしては、80cmほどに育ってから実を付ける感じでしょうか。
これで成長が遅いのは種のせいではないと分かりました。
元肥もいつもどおりです。追肥はまだしていません。1回目の移植したオクラに追肥をしていますが、こちらも成長が遅いまま実を付け始めました。

なかなか成長しない原因はなんだろうと、昨年の状況も合わせて考えてみました。
当てはまるのは少雨。このせいではないかと。
降雨任せの栽培なので、ほとんど降雨がない現在の状況では水分が極少となっています。
表面の黒土は灰色になりパウダー状でサラサラ。まるで火山灰のようです。

夕方から夜にかけて雷雨の予報が出たりしていますが、実際は当地に雨雲がかからず空振りに終わっています。
畑を潤す降雨があれば成長していくことでしょう。様子を見ていきます。
そういえば、今回の週末ファーマーの農作業で追肥を忘れてしまいました。あまりの暑さに参ってしまって。




スイカの様子
大玉スイカが大きくなってきました
大玉スイカが大きくなってきました

大玉・小玉スイカの成長は順調です。
しかし、大玉スイカのエリアは2週間ほど除草をしていないので、土が見えないほど雑草で覆われてしまっています。
週末ファーマーの農作業の1日は、ここの整備をメインにして酷暑の中、黙々と進めていきました。
雑草はメヒシバをメインにオヒシバとスベリヒユが目立ちます。栄養が良いのでとても肥えている雑草です。スベリヒユはおひたしにして食べる地方があるそうですが、雑草として見てしまっているので、ちょっと食べる気にはならないですね。
その雑草の中に毎年種がこぼれて自然に生えてくる青シソ(大葉)とオカノリとシビランがあります。これは除草しないで残していきます。が、三角ホーの動かし方が勢い良いので、雑草に混じっているこれらをかなりの数、勿体ないことに引っこ抜いてしまいました。
大玉スイカのエリアの雑草。これを除草します。
大玉スイカのエリアの雑草。これを除草します。

シビランは「沖縄野菜シビランサー」と説明書きがあったものを購入したので、「シビランンサー」と覚えてしまいました。「ブラジルホウレン草」「アフリカホウレン草」とも呼ばれています。ホウレン草には全く似ていません。

作業を始めた頃は無風で地獄だったのですが、徐々に乾き気味の強めの南風が吹くようになったので、酷暑の中なんとか除草を進めることが出来ました。
三角ホーを使った作業は、15分作業したら日陰で15分休憩。夕方前には雲が出てきて作業が楽になったので除草を終了することが出来ました。
しかし、カラス対策でスイカエリアを防獣ネットで囲う作業は途中で終了となり、防鳥の水糸をエリアの上に張り巡らす作業は出来ませんでした。
まだ大玉スイカは熟さないので大丈夫でしょう。
雑草除草後。 手前からオカノリ、自然薯、青シソ、奥にあるのが大玉スイカ。
雑草除草後。
手前からオカノリ、自然薯、青シソ、奥にあるのが大玉スイカ。


トウモロコシの収穫
タヌキだかハクビシンとカラスと害虫の対策がほぼ成功して無事に収穫となりました。
トウモロコシの周囲は網だらけになりましたが。
トウモロコシの実を食い荒らすアワノメイガの幼虫対策として、トウモロコシの株の先端にある雄花を受粉終了後にカットしたので、この害も防げました。昨年まではこの雄花カットをしなかったので、ほとんど虫食いとなっていました。
トウモロコシの実は小粒気味で皮が固めになったので、来年は追肥をたっぷりして、降雨による水分の供給を期待しましょう。
無事収穫が出来たトウモロコシ
無事収穫が出来たトウモロコシ

さて次回は、小玉スイカのエリアの雑草抜きがメインとなりそうです。



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2018年7月10日火曜日

タヌキの食害再び

トウモロコシに二回目の被害

前回の週末ファーマーの農作業では、トウモロコシがタヌキの食害に遭っていたのを見つけています。
この時は防獣ネットの下から入り込んで、甘いトウモロコシの茎をかじって株2本をダメにされたのです。トウモロコシは未熟だったので茎をかじったようでした。
再びタヌキの侵入を許さないように、防獣ネットの下側のネットを二重にして土に埋め込んで対策をしておきました。
防獣ネットの小さな網目から覗いて撮影した被害の状況
防獣ネットの小さな網目から覗いて撮影した被害の状況

そして今回、トウモロコシのエリアを確認してみると何か変です。
見てみると、二重にした防獣ネットの上方の境目が部分的に下がっています。さらに見てみると一重の防獣ネットの上部が崩れています。防獣ネットの中を見てみると、谷津側のトウモロコシの株約10本が折れて、トウモロコシがかじられて散乱状態です。
またタヌキにやられました。大ショック。
今回は下からの侵入が無理なので、なんと防獣ネットをよじ登り、空いている上から侵入したのでした。
でも、どうやって中から出たのだろう?
やはりよじ登って出るしかないのです。危険を冒してまでもトウモロコシを喰いたかったタヌキの根性に感心してしまいました。
防獣ネットの上に防虫ネットを被せてタヌキ対策
防獣ネットの上に防虫ネットを被せてタヌキ対策

今度は二度と侵入を許しません。
トンネル仕立てにしておいた小玉スイカの防虫ネットを外したので、それをそのまま利用してトウモロコシの防獣ネットの上へ被せました。
ネットとネットの接合にはビニタイを使ってずれないようにして。
これならタヌキも侵入をあきらめるでしょう。



周囲の畑のトウモロコシ栽培の状況

地主さん宅に近いエリアのタヌキによる被害状況
地主さん宅に近いエリアのタヌキによる被害状況

地主さん宅に近いエリアでは、今までタヌキの被害もカラスの被害も受けていなかったということでしたが、今回は残念なことに全滅状態です。人の気配がなくなった(地主さん不在)からでしょう。
タヌキに荒らされた後は、カラスが残りを喰っていました。
今まではカラス除けとして、銀色系の光るテープで周りを囲うだけで防げていたそうですが、もうトウモロコシの栽培をあきらめて、テープを片付けてしまっていました。

別の畑を遠くから見てみると、防獣ネットで囲ったトウモロコシが折れていたりして荒らされている状態が分かりました。ここもやられましたね。
昨年もそうでした。なかなか防げません。
昨年、タヌキの被害に必ず遭うから、もうトウモロコシは作らないと言っていましたが。

日没前には、ちょっと離れている場所で耕作している方が来て、「トウモロコシをタヌキにやられた。」と言っていました。
一斉にタヌキにやられたようです。次々に襲っていったのかなぁ。はたしてタヌキは何匹いるのでしょうか?

ここで疑問が。タヌキ、タヌキと言っていますが、そういえばタヌキの姿は見ていません。足跡だけ。もしかしたらハクビシンの可能性があるのかも。
近所ではタヌキとハクビシン両方見たことがあるので。

さて、残りのトウモロコシは無事収穫に至るのでしょうか。





エンツァイ(空芯菜)

エンツァイ(空芯菜)が発芽
エンツァイ(空芯菜)が発芽

前回の週末ファーマーの農作業で種をばら蒔きしてから約一週間、家人が一日一回水やりをしてくれたので無事に発芽しました。週末ファーマーの農作業前日にはかなりの雨量もあったので水分は問題なし。
あまりの猛暑が続いたので心配していましたが良かったです。
これからはたまに降雨がないと育ちが悪くなるので、天気予報を見ながら対策をしようと思っています。





追記

週末ファーマーの翌々日、家人にトウモロコシのエリアの様子を見てもらいました。

防獣ネットをよじ登ったタヌキあるいはハクビシンの足跡(泥付き)があって、なんと天井部にあたる防虫ネットの上を歩いた足跡がくっきりと残っていたとのこと。
しかし、タヌキ類に対する防御をしっかりしていたので大丈夫でした。これであきらめてくれることでしょう。
管理者 : Masa
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2018年7月2日月曜日

細ネギ(若香)の植え替えなど

今回の週末ファーマーは仕事の都合で1日だけです。この時期に1日しか出来ないのはつらい。

タヌキにトウモロコシの茎2本をかじられてダメになったので、
防獣ネットの外側にもう一枚防獣ネットを張り、下は土中に埋め込みました。

梅雨明け前からの連続した日照りと南からの6日連続の強風で、畑の土はかなり乾いています。雨が欲しいところですが全く降りません。栃木・群馬の渡良瀬川流域では10%の取水制限が始まっています。このままだと農作物にも影響が出てしまうなぁ、と思っていたところに、民間気象会社の予報では週半ばから雨マークが付きました。気象庁ではまだ付いていなかったのですが。
今週の降雨を期待します。

細ネギ(若香 じゃっこう)

一般的な長ネギと違って、細くて小さいネギです。小さいけどアサツキ・ワケギとも違います。長ネギをそのまま縮小した感じで、太さは1cm未満、長さは最長でも30cmくらいにしか育ちません。
小ネギは青ネギを若いうち(成長)に収穫したものなので、これも違います。ちなみに小ネギの「博多万能ねぎ」は九条細(ネギ)を若いうちに収穫したもので商標登録名です。
細ネギ(若香)の香りは、一般的な長ネギよりも落ち着いた香りだと思います。

細ネギ(若香)の掘り上げ

昨年の春に、1畝の長さの1/3程度(3m)の狭い範囲に密集状態で種を蒔き、その後は収穫をしないで放置しておいた細ネギです。早春に枯れて、春に出た若葉がだいぶ育っています。
細ネギの周囲では、次の植え付けに向けて整備をしてあるのですが、細かい作業をしなくてはならないのでここだけ手が回らずで。ようやく順番が来ました。

細ネギと雑草が混在
細ネギ(若香)と雑草が混在

エンピ(剣先スコップ)で畝ごと掘り起こすと、厄介な雑草のチガヤ・スギナ・ハマスゲが細ネギと一緒に付いてくるので選り分けます。
次に、細ネギは密集しているので1本ずつにほぐしていき、昨年の枯れた茎葉を取り除きます。
「手み」に次々と植え替え用の大小の細ネギが並べられ、全部でおよそ200株を超えたでしょうか、ずいぶんとありました。予想外です。
選り分けた細ネギ(若香)の一部
選り分けた細ネギ(若香)の一部

植え付ける場所は1畝分しか確保していないので、だいぶ細ネギが余ってしまいます。隣の畑の方に声を掛けたのですが、植え付けたいけど時間が取れないとのこと。
余った細ネギは食用にすることにしました。



細ネギ(若香)の植え付け

この場所は、地下茎で伸びるチガヤが繁茂してきているので、耕うん機が使えません。耕うん機を使うと切断された地下茎が散らばり、地下茎から芽が出たチガヤがどんどん増えていってしまうからです。
ですので、人間の力だけの鍬とジョレンでの耕しと畝作りです。
少し深めに鍬で掘った溝に元肥として粉状ケイフンをうっすらと敷きました。粒状のほうが持続性は良いので、本当は粒状にしたいのですが。行きつけのホームセンターでは粉状のケイフンしか置かなくなりましたので、仕方ありません。
畝の土は周囲から集めてこんもりとさせて軽く成形。
細ネギの植え付けは、株の間隔7cm前後で、深さは葉の分岐点よりは3、4cm下までにしておきました。葉のほうがメインの食材になるので、必要に応じて後日土寄せすれば良いかなと思いまして。
細ネギの植え替え終了。すっきりしました。

エンツァイ(空芯菜)の種蒔き
左側が新しく蒔いたエンツァイの種。
右側は昨年余ってしまった種。谷津上の土手にばら蒔いておきました。


細ネギの隣に1畝作って、エンツァイ(空芯菜。クウシンサイ)の種をバラバラとバラ蒔きにしました。
発芽適温は25~30度と高温を好むので、種蒔きには適期です。
種を蒔いた後に土を1cmほど被せて、軽く転圧してから水撒き。
とても水を好むので、種も土も水分たっぷりのほうが良いのですが、今回の栽培場所は土に水分がだいぶある所なので、あらかじめ水を撒きませんでした。
ただし、数日間は降雨が無いので発芽までは念のため、水遣りが必要になります。
エンツァイは水田でも栽培可能とのこと。谷津のエリアなら最適なのですが、現在は蔓性のカナムグラが繁茂していてその除去に手が回っていないので、今季は諦めです。
しかし、昨年は谷津での栽培で野ウサギに全部喰われてしまったので、畑での栽培のほうが良い結果となることでしょう。

残りの時間は日没後の暗くなるまで、手がしびれるほど雑草抜きをして終了。
次回は2日間とも雨予報。どうなることやら。



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