2016年10月22日土曜日

明治時代以降の波佐見焼

はさみやき

佐賀・長崎
波佐見町に行く途中
そういえば、波佐見焼は「はさみやき」です。
波佐見町は「はさみちょう」です。「まち」と「ちょう」どちらかであるかは、地名とセットで覚えるしかないですね。


明治維新

武家政権が終わって、新たな時代の幕開けで日本の焼き物業界もだいぶ混乱したことでしょう。なにせ既存の価値観が破壊され、新しい技術・風俗が解禁になったのですから。
焼き物業界でも、混乱のこの機会を良い方向にもっていくことが出来た人達がいたはずです。
波佐見焼はどうだったのでしょうか? 


再興

幕藩体制の崩壊によって、明治3年(1870)には大村藩皿山役所が閉鎖され、藩の支援がなくなり、小規模な窯での生産になってしまいました。
せっかく新しい時代を迎えたのに、巨大な登窯での生産が停止になったのは経済的、精神的にも大打撃です。
しばらくは、個人や集落単位の小さな地域で生産するしかなかったのでしょうが、ここで、磁器生産に新しい技術が導入されます。


新技術

まずは現在でも人気が高い、いわゆる「明治以降印判手」である型紙刷りです。
明治8年(1875)頃にその技術が導入されています。型紙刷りの技法については後日詳しく述べますのでここでは簡単に。
型紙刷りは器への絵付を手描きではなく、模様を切り抜いた型紙を器面にあてて、型紙の上からコバルト青(ベロ藍)等の顔料・絵具を刷り、型紙を外すと模様が残る技法です。
細密な模様なのに大量生産が可能になったわけです。ただし、型紙の接合部や貼り方によっては模様がずれていたり、かすれていたりで、高級料理屋等には不向きだったと思います。
明治24年(1891)頃には銅版転写(エッチング)の技法が導入されています。これは銅版画を応用した技法ですね。銅版転写の模様は型紙刷りの模様よりも近代的な模様が多いです。この技法についても詳しくは後日ということで。


輸出と振興

さらに、明治20年(1887)頃からは、朝鮮半島への輸出用の壷が作られ始めたようです。
近代産業の発展に欠かせない輸出です。他の器種も一緒に渡って行ったのでしょう。 
この時代に最も盛んに生産されていたのは徳利です。明治の中頃には徳利の生産が最盛期となり、全国中に出荷されています。
徳利生産に特化しようと考えたのか、需要からの生産増か。需要増加からだとしたら、お酒と醤油等を買うための通い徳利として、磁器製徳利が流行ったのかな。 
そして、明治35年(1902)に陶磁器意匠伝習所の設立、明治38年(1905)には上波佐見村陶磁器信用組合が結成されました。
数々の努力により明治時代後期には各振興をはかり、江戸時代の活気を取り戻しています。




大正時代

窯業も会社組織の道へ進みます。
四年間続いた第一次世界大戦が終わった年の大正7年(1918)に「長崎県東彼杵郡陶磁器株式会社」が設立されました。東彼杵郡の読み方は「ひがしそのぎぐん」です。
この頃の日本は、戦時特需による成金からインフレ、戦後恐慌と、経済活動は特に良い時から特に悪い方向へ向かっていきます。 
そんな世の中で、大正時代末期には生産技法の進化、特に機械ロクロの導入によって、波佐見焼は多種多様な量産品を生み出しています。
さらに、大正14年(1925)には登窯に代わって石炭窯が使用され、生産の主力となっていきました。九州北部には炭鉱・炭田が多く存在していましたから、石炭の輸送料からみても石炭窯の普及は早かったと考えられます。

昭和時代(戦前)

昭和初期の大不況を乗りきり、石炭窯が次々と平野部まで築かれていきます。
昭和5年(1930)には「長崎県窯業指導所」が開設され、窯業の技術・指導が行われていきます。
お話は昭和一桁に突入しました。「生まれた頃だなぁ。」なんて、この記事をご覧になっている方がいらっしゃるかもしれませんね。
昭和9年(1934)には「波佐見陶磁器工業組合」が設立されます。
この頃、洋食器や商品銘入りの酒樽などが作られています。お宅の納屋や倉庫に眠っているものがあるのでは?

昭和12年(1937)の日中戦争から次第に窯業も戦時体制になり、昭和14年(1939)に価格等統制令が公布施行され、昭和21年(1946)の物価統制令まで継続しました。昭和14年には第二次世界大戦が始まっています。
統制では窯元銘の番号化「波○○」(○○は算用数字)が知られていますね。だいたい底部にプリントされていました。
「岐○○」は東京都郊外で実際に見たことがありますが、波佐見産を表す「波○○」は実際に見たことがないと思います。流通圏はどうだったのでしょうか?調べてみる必要がありますね。
昭和16年(1941年)太平洋戦争開戦から戦後はこちらから。

前回の波佐見焼のお話はこちらからどうぞ。








参考文献 : 中野雄二 1999 『波佐見焼400年の歩み』 ,波佐見焼400年祭実行委員会
管理者 : Masa
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