2017年3月25日土曜日

春の雑草抜きがメイン

本日の農作業は冬の名残が 

夏野菜の準備

週末の農作業が始まりましたが、冬のような冷たい北風が吹いて上着着用です。夏野菜の準備の実感がわきません。
耕うん機で耕す前に、まずはいつものスギナの除去から。地表をレーキでなでると、いよいよ芽が出てきたスギナが現れます。それを目安に、スギナは根が深い場合が多いのでエンピ(スコップ)で深く掘り下げます。この作業をやると残った根茎から次に芽が出るまでだいぶ時間が掛かるので、できる限りやっておきます。
やはりたくさんありまして、この掘削作業で大汗をかいて汗がポタポタと。上着を脱ぎました。
年代物の耕うん機は本日も一発始動で絶好調です。不耕起栽培では無いので念入りに耕して今回はここでおしまい。他にやることがあるので畝作りは次回です。

ここで、昨年の10月中旬に種を植えたソラマメの様子を見てみます。
防寒のために防虫ネットでのトンネル仕立てにして無事冬を越しています。
近くの畑では防寒対策無しでやっていました。結果、真冬の寒さで霜にあたり、株全体が黒ずんで駄目になってしまっています。
防虫ネットの上から撮影しました。 花が咲いてきています。
防虫ネットの上から撮影しました。
ソラマメの花が咲いてきています。

ソラマメの畝。防虫ネットで防寒中。
ソラマメの畝。防虫ネットで防寒中。
 そろそろ芽かきをしないといけませんね。



茎立ち菜のようす

昨年の9月下旬に種を蒔いて、間引きを繰り返し、残った苗を植え替えた茎立ち菜がだいぶ成長しました。ヒヨドリの食害避けのために防鳥・防獣ネットでトンネル仕立てにしていたのですが、これの天井に葉が触れて窮屈です。3畝分だけ撤去することにしました。
撤去するとヒヨドリに対する防御はどうなのか?
春が深まっていくにつれヒヨドリを見ることが少なくなってきていて、防御していない他の畑を見ても、食害されているのか分からない程度になっています。
それに代えて、例えば庭木の梅やアンズの花の蜜を吸い、花々を落としまくっています。蜜だけでは腹の足しにはならない気がするので、食害が減少したのは他にも要因があると思います。季節の移ろいと共に食が変化したのでしょう。
以上のことから撤去しても大丈夫だと判断しました。しかし念のため、柔らかい脇芽が発生している株があるので、残り4畝はそのまま一週間様子を見ます。
防鳥・防獣ネットの中で窮屈な茎立ち菜
防鳥・防獣ネットの中で窮屈な茎立ち菜   


茎立ち菜とは

福島県・山形県で栽培されているアブラナ科の伝統野菜で、「くきだち」「くきたちな」と呼ばれています。種を東日本大震災の前年に分けて頂き、栽培を続けています。
茎立ち菜と呼ばれているもので、この品種と違うものが存在します。いわゆる菜の花は実物を見ないと分からないものが多いです。
本種はカラシナよりも越冬での成長が遅くて、まだとう立ちしていません。これからが成長の本番です。
ちなみに畑に近い大河川の土手のカラシナ(菜の花)は、かなり花が盛りとなっていますが、例年よりはだいぶ成長が遅いです。それと草丈が低いまま花が咲いています。降水量が少なかった影響と考えています。
茎立ち菜のお話に戻りまして、お味はというと、販売されているいわゆる菜の花よりかなり旨味が強く、カキ菜よりも旨味があると思います。食感はアスパラ菜に似ていますかね。
成長の様子はまた報告します。 
茎立ち菜の脇芽。もうじき収穫となります。
茎立ち菜の脇芽。もうじき収穫となります。 


春の雑草抜き

4日前に氷雨が降ったので、その水分で春の雑草たちがだいぶ芽を出しています。
まずはいつものように手で一つ一つ抜いていきます。数ミリの小さな小さなものまで見逃しません。これを今やっておくと後が楽になります。夏野菜の植え付け時に雑草抜きに追われてしまうことがかなり少なくなるのです。
細かい春の雑草が出てきています
細かい春の雑草が出てきています

ヨモギは雑草扱いですが、とりあえず残しておきます。
ヨモギは雑草扱いですが、とりあえず残しておきます。 

防寒対策ネット、防鳥・防獣対策ネットのトンネル仕立てがある畝は、下にちょっと隙間を作って手を突っ込んでひたすら抜いていきました。ささっと素早く。手先が器用になった気がします。

キヌサヤのネット仕立て
一部の畝では、防寒のための防虫ネットトンネル仕立てを外して、キヌサヤを上方へ這わせるためのネット(マス目約10cm)を設置しました。
キヌサヤも昨年10月に種から苗を作って畑に植え付けたものです。
いつもキヌサヤは大きく育つのですが、成長の初めは株元でこんもりしてしまい、ツルが通路側にいってしまいます。それを防ぐために防鳥・防獣ネットを長軸で半分に折り、通路に沿って設置です。これで通路の確保が容易となりました。
ネットによるキヌサヤの養生
ネットによるキヌサヤの養生

ネットによるキヌサヤの養生
ネットによるキヌサヤの養生

明日は氷雨の天気予報になっています。雪は降らない予報ですが、場合によってはミゾレになったりして、と思ったら、民間気象予報会社により八王子方面でミゾレの予報を出してきました。そんな気温ですので週末ファーマーは出来ません。
ホームセンターなどでは、早々とナス・トマト・トウガラシなどの夏野菜の苗が販売されています。当地ではまだ植え付けの時期は来ていません。毎年4月上旬から中旬に遅霜があり、植え付けに失敗した過去があります。





管理者 : Masa
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2017年3月20日月曜日

ヤーコンの収穫

農作業前に車の装備品のグレードアップ

ハロゲンバルブ(2個入りが普通)
ハロゲンバルブ(2個入りが普通)

農作業前に車のヘッドライトバルブの交換

農繁期の畑からの帰り道は暗くなります。行き来に使用している車のヘッドライトは純正ハロゲンの黄色っぽい色で明るいとは言えず、明るいものに交換しようと思っていたのです。
社用車のエンジンオイル交換に行ったついでに、どんなものがあるか見てみました。ちなみに社用車のエンジンオイルは5W-40でモービル1に決定。前回もモービル1だったからです。とその時は思ったのですが、前回は自動車整備工場で車検だったので、エンジンオイルの銘柄は分かりません。モービル1は前々回でした。エンジンオイルフィルターも一緒に交換して、オイルを入れ替えたら良かったのかもしれませんね。
次回はメーカー推奨オイルのカストロールでエッジにしますかね。
立派なハードプラスチックケース入り。何かに再利用したくなります。
立派なハードプラスチックケース入り。何かに再利用したくなります。
  
さて、ヘッドライトをHIDかLEDに変えようかとも思ったのですが、HIDだとバラストを付けたり、LEDはちょっと車格に合わないかなぁなんて売り場を見ていました。
で、見ているとノーマルハロゲンバルブのコーナーとは別に、ハロゲンバルブの売り場があるのに気が付いたのです。しかも各バルブの試し点灯が出来ます。スイッチで点灯させたり消灯させたりして見比べて、ケルビン数が上がると青みが強くなってちょっと若者向きかな?5000Kあたりが良いかな?なんて決められないでいました。
すると、弊社役員と共に店員さんが来て相談に乗ってくれました。
やはりハロゲンのままだと劇的な明るさの変化にはならないというお話でしたが、今回はハロゲンのままでいくことに。
色々ある中で選んだのは、PHILIPSのCrystalVision(クリスタルヴィジョン)で色温度4300Kです(Made in Poland)。
気を付けなくてはならないのが、車によってバルブの形状が違うので、適合表で車種と年式等を良く見てから購入してくださいね。不安な場合は店員さんに聞きましょう。
このバルブは、白さと明るさを追求したベストバランス高効率ハロゲンバルブで、もちろん車検対応です。8000Kだと青みが強くなって車検に通らないなんて場合もあるので、良く確認してからにしましょう。
ハロゲンバルブの交換は簡単(今回の車の場合)ですが工具が必要です。
必ずバッテリーのマイナス端子を外してから作業を行います。外した端子の取り扱いにも注意が必要です。バッテリーの取り扱いに慣れていない方は無理せず、販売店での交換をお勧めします。
バルブのコネクターを外し、保護のゴムを外し、付いていたハロゲンバルブを外し、新しいバルブのレンズに指紋を付けないように注意をしながら取り付け、あとは元通りに。点灯確認して、カーラジオの設定を直して交換完了です。
ちょっと外すのに固かったのがあってそれに時間が少し掛かりましたが、全体で20分ほどでした。
どんなあんばいか畑からの帰り道が楽しみです。



畑の谷津

畑に到着です。昨夜は北風が強かった時があったので、お隣さんの肥料の空袋などが谷津に飛んで行っているのを発見。まずはそれの回収に入ります。
対岸下まで飛んで行っているものがありました。近づいて見てみると水が見えません。極度の渇水です。ゆっくりと足元を確認しながら進むと、なんと対岸下まで歩いて行けました。普通ならずっと手前でぬかるみに足をとられて動けなくなるのに。
回収して、次は耕作地に芽が出てきた雑草をささっと除去。
渇水中の谷津
渇水中の谷津

畑の空間放射線量チェック

久しぶりに線量計で数か所の空間放射線量の測定をしました。
使用している線量計は「AIR COUNTER_S」で放射線量(ガンマ線)を簡易的に把握するものです。
当地では以前畑作をしていた学校関係者の方が、原発事故後の収穫物の放射性物質検査を検査機関に依頼しています。その結果、放射性セシウムから受ける放射線量の値は検出無しということでした。
数回ずつ同じ地点で空間放射線量を測定した今回の結果も、以前と同じく問題無しです。
値0.05マイクロシーベルト以下。
値0.05マイクロシーベルト以下。数値が点滅しているので検出限界値以下です。
実際は地上約1mの位置で計測しています。写真撮影のために置いている状態です。

最後のヤーコンの収穫

大株が2つ残っていたのでそれの収穫作業です。
ヤーコンは折れやすいので、株の周囲から大きく掘っていきます。
ヤーコン掘り上げ中
ヤーコン掘り上げ中

種イモから新芽が1つだけ出てきていました。本来の掘り上げ時期は霜が降りる前です。今回は遅いですね~。
ヤーコンの種イモ。赤みを帯びて、形状はいびつな球状です。
ヤーコンの種イモ。赤みを帯びて、形状はいびつな球状です。

株が甘いのかなんだか、小さい蟻がたくさんいたし、カブトムシの幼虫は数匹出てきました。 
大きく掘りました
大きく掘りました

ついでに古墳時代のものと思われる赤彩された土師器の埦?片も出てきました。今まで出てきたものでは大きいほう。
土師器の埦?片
土師器の埦?片

ヤーコンの食感はシャキシャキとしていて、きんぴらが個人的には一番好きですね。あく抜きした生食(サラダ)は梨のような食感らしいですが、慣れていないので生食はやめておきます。
2株分のヤーコン
2株分のヤーコン

ヤーコンの株元でツクシが顔を出していました
ヤーコンの株元でツクシが顔を出していました

あとの時間はひたすら雑草抜き。小さな小さな雑草も1本ずつ抜いて。途中で効率化を図るために、両手を使って抜いてみたりしました。 
帰宅中、車のヘッドライトが照らす色は交換前よりかなり白みが強くなって、だいぶ明るくなったように感じました。交換効果抜群です。
さあ明日は氷雨です。恵みの雨です。




管理者 : Masa
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2017年3月19日日曜日

ジャガイモの植え付け

ジャガイモの植え付けに至るまで

種イモ購入

今回もホームセンターでの購入になりました。昨年と比べて売り場には多量の種イモが残っていて、植え付ける人が少なかったのか、入荷量が多かったのかなぁ?と思ったりしていると、一枚の張り紙がありました。
読んでみると、長雨などの天候不良で状態が悪かったりしているものがあるが、種イモとしては問題無いとのことでした。種イモの産地は北海道です。大変な苦労がありました。今年は天災が無いと良いですが。 
大きい種イモは久しぶりにカットして使うことに決めていましたから、購入した全体の重量はいつもより少な目です。
ダンシャク・キタアカリ・トウヤを3kg(各約750円・約900円)ずつ、メークインを1kg(約300円)購入しました。総重量10kg。秋ジャガイモの時は耕作地が拡大しているので、その時はもっとやります。
種イモの芽は少し出ているくらいなので丁度良いと思いました。まだ遅霜に要注意ですので。
あと、国産の草木灰1袋が約300円。野焼きが禁止されているので、草木灰は購入することにしています。
購入した種ジャガイモと草木灰
購入した種ジャガイモと草木灰

ケイフンは降雨の次の日でまだ袋の間が濡れていて、ガス抜きの小さな穴とパッケージミスで漏れたケイフンが強い臭いと袋を茶色に染めていました。15kgを3袋購入、400円でお釣りが来ます。お安いですね。
  

耕うん

火曜日は雨から昼間のうちに曇りになったけれど、まあまあの雨量になりました。これによって畑は少し潤ったことでしょう。
そして水曜日の早朝は外気温3度で、雨に交じって透明な氷の粒が降る凍雨(とうう)も見られました。寒気が海上から引き込まれた茨城県沿岸地帯ではボタン雪が降ったとのことです。なごり雪ですね。
降水機会が2日続くということは、もう春本番の証です。
しかし畑作業当日、相変わらず畑の表面はカラカラに乾いていて、土ぼこり対策と花粉対策で良質なマスクの着用です。
 さて、耕うんです。先週のうちに耕うん機で植え付ける場所を耕しているので、きちんと耕せているか耕うんしながら確認して、駄目なら集中的にその箇所を耕して、あとは軽く耕して終わりです。

種イモと植え付けの下準備

種イモは大きいものだけ、芽の位置を確認しながら半分ほどにカットします。トウヤは小さめなのでそのまま使用しました。
種イモのカット方法が袋に書かれています
種イモのカット方法が袋に書かれています

メークインはメークイーンとも呼んでいますが、メークインが正式名称です。あと、間違える人がいるのは、猫の種類のメインクーン。メークインとメインクーンが混同するようです。
メークインは長くて大きいので、袋書きとおりに3個にカットしました。初めての試みです。
そしてカットした面には草木灰を付けておきます。
カットしたジャガイモに草木灰を付けました
カットしたジャガイモに草木灰を付けました

畝作り

前回の秋ジャガイモでは高畝にしましたが、今回は低い畝で植え付けます。追肥の際に土寄せを頑張ることにしました。
鍬で筋を付けたら元肥としてケイフンを薄めに均等に撒いていきます。種イモ間に元肥を置くやり方はしていません。種イモの上にイモが出来ることからそうするのでしょうが。私は均等撒きで全体に元肥の効果を出そうと考えています。
ケイフンの使用で留意すべき点は、土壌の高pH値で発生する病気のジャガイモそうか病(ジャガイモの表面がかさぶた状になる)です。ケイフンは石灰分が多いので、酸性土が中和されアルカリ性(高pH値)になり、病気を誘発しやすいことがあります。
しかし当地は元々酸性度が強い土壌なので、今のところジャガイモそうか病にはなっていません。
それぞれの土壌のpH値を土壌酸度計で計測して、ケイフンを使用するかしないか決めると良いと思います。そういえばこの頃土壌酸度計を使用していませんので、機会を見て計測することにします。



種イモの植え付け

ケイフンを撒いたらその上に土を2cmほどかけて、いよいよ植え付けです。
種イモと種イモの間隔は種イモの大きさによって約30~40cmにしました。カット面を下にして種イモを置き終わったら10cmほどの覆土をし、畝を整形して完了です。
何を植えたか分かるように、ネームプレートを畝の先頭に差し込んでおきました。
余った種イモはお裾分けをしました。
種イモの植え付け
種イモの植え付け

収穫は約3か月後です。イモ掘り時は熱いなぁ(気温)。
  

春のミックスリーフとベビーリーフの種蒔き

時期的にほんの少し早いですが、1畝作って密集撒きをしておきました。間引きながら収穫を継続させます。
種蒔き後の水やりはしていません。自然に任せます。
畝作り中に小さな土師器片が2片出て来ました。
土師器の甕片か壷片か?古墳時代以降奈良・平安時代のものでしょう。
土師器の甕片か壷片か?古墳時代以降奈良・平安時代のものでしょう。

土師器の埦片か?赤彩されています。古墳時代のものですかね。
土師器の片か?赤彩されています。古墳時代のものですかね。
いずれも、はるか昔に近所から表土を畑に持ってきた時に、一緒に運ばれてきたものです。

春の花が開花

日没少し前にはウグイスが初鳴きです。一度きりですが。
土手にはムスカリが咲いていました。
ムスカリの花
ムスカリの花
イチゴの花が咲きました
イチゴの花が咲きました
植え替えていない所のイチゴは花が咲き始めています。





管理者 : Masa
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2017年3月13日月曜日

福島県の焼き物

大堀相馬焼 

まずは、大堀相馬焼と相馬駒焼の違いについてです。
大堀相馬焼は磐城国相馬中村藩の庇護の下、現在の双葉郡浪江町大堀で開かれた民窯で、相馬駒焼は現在の相馬市で開窯された元は藩の御用窯です。いずれも文様に「走り駒」を描きます。
なお、江戸時代において大堀相馬焼は「相馬焼」と呼ばれていました。
大堀相馬焼の湯飲み碗
大堀相馬焼の湯飲み碗
底部の造りは、写真左側のものが二重になっています。
底部の造りは、写真左側のものが二重になっています。

大堀相馬焼の始まり

18世紀(1700年代)初め、或いは1690年の開窯と伝えられていますが、元号では元禄になりますので、元禄年間に始まったということです。
陶祖というべき人物は藩士の半谷休閑で良いのか、半谷が下男である左馬に作陶を命じたことから相馬焼が焼かれ始めました。

大堀相馬焼の昔

江戸時代後期の19世紀の初めから中頃においては、農家の副業として近隣にも窯業が普及し、窯が35基、窯元100軒を数える盛況だったということです。
しかし、明治時代になって廃藩置県が行われた結果、他の焼き物の産地と同様に藩の庇護を失って、ここで衰退が始まっていきました。
しかし、第二次世界大戦後には需要が上向き、たとえばアメリカ向けには「ダブルカップ」などとして、窯業が再興しています。ダブルカップの呼び名は以下に記載した「二重(ふたえ)焼」の形状からきていると思われます。
なお、栃木県の益子焼は大堀相馬焼の流れを汲むものです。

技法・特徴

「二重(ふたえ)焼」
器の二重構造によって、液体が入る器(内側)と手で持つ器(外側)の間が離れているため、器内の熱が直接手に伝わらない仕組みです。この二重焼は用途を容器とする焼き物としてはとても珍しいものです。
さらに透かしも入っているため、焼成時にも高度な技術が必要なことでしょう。 
二重焼と透かしと青ひび
二重焼と透かしと青ひび


「青ひび」
釉薬と素地の収縮率の違いによって窯から出された時に貫入(かんにゅう:不規則な網目状のひび)し、そのひびが拡がって模様と化します。その貫入音は「ふくしまの音30景」に認定されているほど澄んだ心地が良い音です。
釉薬は澄んだ薄緑色の青磁釉のほかに、灰釉、飴釉、白流釉がありまして、青磁釉に効果をもたせるように使用されていたりもします。

「走り駒」
相馬中村藩の御神馬を、狩野派の筆法といわれている見事な筆使いで一気に描き上げる走り駒。この御神馬は左向きに疾走しています。
走り駒
走り駒

陶芸の杜おおぼり・窯元訪問

現在は東日本大震災後の原発事故の影響により帰還困難区域に指定されているため、浪江町に所在する元の「陶芸の杜おおぼり」及び震災前の窯元を一般の人が訪ねることは出来ません。
追記2017.04.12
「陶芸の杜おおぼり」での放射線量は福島民報朝刊(2017.04.08)によると、3.91マイクロシーベルトと依然として高いままです。
しかし、浪江町全域に出されていた避難指示は、平成29年(2017)3月31日に「帰還困難区域」を除いて解除されています。これにより、太平洋側の区域では復興に向けた動きが一歩前進しました。
追記終わり。
震災前には数度、陶芸の杜おおぼりと窯元を訪れています。
いつの年かのゴールデンウィーク中には「大せとまつり」が開催されていて、とても賑わっていました。緑青(ろくしょう)のような釉薬が掛かった小さめの湯飲み碗と、同じ釉薬が掛かったコーヒーカップを買ったり。また、川遊びが好きなので、近くの高瀬川で水に親しんだりしました。ちなみにこれらの器は普段毎日使っていて、洗浄ミスによりちょこっと欠けたりしていますので、いつか金直し(金継ぎ)をしたいと思っています。


高瀬川と四時川

高瀬川といえば、震災があった年にアユ釣りのお供に行こうと予定していたのが不可能になってしまって、もっと早く行っておけば良かったのにと、いまだに後悔しています。
その後、福島県浜通りのアユ釣りが出来る川を探したら、いわき市の鮫川水系の四時川がありました。もちろん放射性物質は検出されていません。こちらも自然豊かでアユ釣りのお供にはもってこいでした。
四時川に行くと、川の流れを目の前にして釣りをしたくなり、渓流釣り遊漁券を購入(店売りの日釣りで1,500円)しました。

四時川と何故かマネキン
四時川と何故かマネキン
しかし、釣行を予定した当初は釣りをするつもりが無かったので、エサを持って行っていなかったのです。
エサがないので川石をひっくり返して水生昆虫を探しましたが、エサになるサイズのものがいませんでした。そして水に親しみながら探すことおよそ1時間、陸に近い場所でたまたま小さなミミズが一匹だけ捕れました。渓流竿にウキを付けないで、その代りになる小さな目印を付けた脈釣りをやったら、一発で当たりが来て釣れました。約20cmのヤマメです。それで釣りは終わりにして、あとは山々と川の流れを見ていました。
高瀬川での釣りはいつ出来るのでしょうか...。

浪江町での陶芸の里に話しは戻って

窯元の松助窯では、併設されている「亀田集古館」で展示されている江戸時代からの製品を見学し、雰囲気がある売り場で製品を購入しました。
ほかの窯元も訪れていますが、もっと浪江町での窯元訪問をしたかったですね。浪江町に存在した窯元25軒は震災後に全て操業中止に追い込まれてしまいました。
しかし、現在は浪江町の西端に接する(ちょっとだけ)二本松市の協力を得て、大堀相馬焼協同組合が小沢工業団地内で窯業を再開しています。名称は「陶芸の杜 おおぼり 二本松工房」で仮設工房となっていまして、事前予約での陶芸体験も催されています。
また、2017年3月3日〜3月5日には福島空港において「大堀相馬焼 春の新作展」が大堀相馬焼協同組合の主催で開催されました。新作展には県内各地に避難している7窯元が参加しています。

ほかに僅かですが福島県外でも窯業を再開されているようです。
いずれも大堀での陶土・釉薬との違いに苦労されていることでしょう。
これからも応援していきます。






参考文献 : 青柳栄次 1999『全国焼き物体験』,株式会社昭文社
     : 黒田一哉 1988『図鑑 日本やきもの巡り』,株式会社光芸出版
     : 東北陶磁文化館 1987『東北の近世陶磁』
     : 日本歴史大辞典編集委員会 1973『日本史年表』, 株式会社河出書房新社
     : 松宮輝明 1985『福島のやきものと窯』, 歴史春秋出版株式会社
     : 矢部良明・水尾比呂志・岡村吉右衛門 1992『日本のやきもの8 薩摩・民窯』, 株式会社講談社
参考H.P. : 浪江町
     : 大堀相馬焼協同組合「陶芸の杜おおぼり」
管理者 : Masa
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2017年3月12日日曜日

土作りと耕うん機F210

まずは土作り

土起こし

今年は苗が手に入らなかったので田んぼをやらなかったのですが(田んぼといっても谷津でやる一坪田んぼですけど)、農家の田んぼは先月に早々と耕起(こうき、田起こし)しています。そして今は、そのボコボコになったのを丁寧に平らに均す作業を行っている所が多いです。もちろんまだ水を引き入れていません。
耕起をしていない田んぼは、草丈が低い春の雑草が茂ってきていて、田んぼが緑濃くなっています。耕起をする時にはこれらの雑草も一緒に土に混ぜられます。田んぼの場合もやはり栄養として分解されるのでしょう。
さて、畑では色々と植え付け・種蒔き前の土起こしです。
春の雑草抜きをこまめにやっているので、土起こし前の雑草抜き作業はありません。
しかし、地上部が冬枯れして地中に隠れている根茎系の雑草の存在があります。この根茎の除去作業を今の時期にやっておけば、後々の除草作業がだいぶ楽になります。エンピ(スコップ)での重労働には気候が丁度良いし。晴れていれば薄着でも汗だくになりますが。
土手のタンポポ開花中
土手のタンポポ開花中

土手ではタンポポが開花しています。気象庁によると東京でのタンポポの開花が発表されました。土手に咲いているぶんには黄色く鮮やかで良いのですが、畑ではちょっとねぇということでして。このタンポポの根も完全に除去しないと残った根から芽が出てきます。放っておくととても大きくなって、根が深くなっていきます。
掘削開始時は一人で掘って根茎を拾って捨てていたのですが、あまりにもスギナが多いことから、拾う作業で腰が痛くなってきました。ですので急遽、他の作業をしていた人を呼んで手伝ってもらうことにしました。
玉ねぎの苗。成長中。
玉ねぎの苗。成長中。
呼びに行く途中で、穴あきマルチに植えつけた玉ねぎの苗の成長具合を見てみました。苗のうち貰ったものは貧弱だったので、それはそれなりにしか育っていません。やはり苗の段階で成長に差が付きます。
特に畝と畝の間の通路だった所を入念に掘り起こしていきます。ここは土が固くなっているので耕うん機F210の刃が入りにくく、耕うんし始めは耕うん機が跳ねてしまうのです。雑草除去兼耕うん機入れの準備になります。



そうだ、今日はマスクをしています。医者に行って診断を受けたわけではないですが、季節性アレルギー性鼻炎と思っています。別の言い方をすると花粉症ですね。花粉症と言うとなんだか大げさな気がして。結局は同じ事ですけどね。毎年、この時期に3、4日特にひどい期間があって、次は桜が咲いている頃が特にひどい季節性アレルギー性鼻炎の期間です。
やはりマスクをするとかなり鼻の調子が楽になります。去年なんかは初めにマスクをせずに畑に出たものですから、ひどかったのなんのって。その日はほとんど仕事になりませんでした。今年はその経験から良いマスクを着用しています。
ひたすら掘削を続け、たまに小休憩を取ります。緑茶を飲んでチョコレートを食べてみたり。その間に冬期は防虫ネットのトンネル仕立てで保護したパクチー(コリアンダー、シャンツァイ)を見てみました。冬を越してなんと大きく成長しています。これは驚きでした。てっきり冬は枯れるものだと思い込んでいたので。次の栽培のヒントになりました。うちでは、餃子にパクチーを刻んで入れたりしています。テレビで見たパクチーかき揚げを試したこともありますが、揚げるよりは生食のほうが良いと感じました。
パクチー成長中
パクチー成長中

耕うん機F210で耕し
そんなこんなをしながら夕方には、雑草の根茎除去を終わりにしました。そして耕うん機F210の出番です。
エンジンオイルとガソリンの量をチェックして、ガソリンコックをオンにして、スイッチをオンにしてチョークを引いて、スターターロープを引っ張りいつものように一発始動です。
過去に一度だけスターターロープが抜けたようになって戻らなくなって焦ったことがあります。しかし、その時はほんの軽く数度引っ張っりきらずに、ちょこちょこテンションを掛ける感じでやってみたら元に戻って事無きを得ました。勢いで強く引っ張りすぎては駄目ですね。
耕すと土の表面は乾いているけど下は湿っていますので、黒々とした土色にどんどん変わっていきます。残念ながら細切れになったスギナの根も現れてきます。除去しきれなかったものが結構ありました。これは畝作りの時に気を付けて取り除くようにしましょう。
さあ、これで次回の作業が楽になりました。何事も早め早めにやっておきます。

谷津の耕作地の様子
一週間が経過して、先週に取りきれなかった雑草の種から勢いよく芽が出てきていました。まだ出てくるので次回にまとめて土ごと剥ぎ取ってしまいます。
ミミズがだいぶいるのでしょう、モグラが作った土の高まりがあちらこちらにありました。
谷津の耕作地でモグラが作った土の高まり
谷津の耕作地でモグラが作った土の高まり

週末前にはケイフン75Kg(5袋)と種ジャガイモを購入します。品種はダンシャクがメインです。





管理者 :Masa
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2017年3月5日日曜日

チガヤの除去と耕作準備

農作業2種 

チガヤの除去は終了に

チガヤ・スギナ・ハマスゲを除去する残りの範囲1㎡ほどの掘削に着手しました。残りの作業量はあと僅かだったので、楽しみ?に後回しにしていました。
チガヤの繁茂場所から最も遠いので、地上部でみると枯れたチガヤがあまりありません。掘削してみると、やはりチガヤの地下茎は少ないですが、それでも芽が出始めの勢いが良い地下茎が切れて出てきます。
スギナはあまり無く、ハマスゲはほとんど出てきませんでした。以前に除去した結果ですね。
ワラビの太い根にチガヤが貫通して、スギナの根が入り込んでいる。
ワラビの太い根にチガヤが貫通して、スギナの根が入り込んでいる。

出てきた物の新顔では、ごつごつしたジャガイモが2個ほど。以前育てていたジャガイモの収穫漏れがそのまま代を重ねていたものです。桜が咲くと畑のあちらこちらでジャガイモの芽が土から出てきます。
ホームセンターなどでは先月中旬頃から種ジャガイモが店頭で売られていて買われています。毎年私は植え付けるその週に購入しているので、まだ購入していないです。畑で芽が地上部に自然に出てくる時に、降霜しなそうな時期を選んでいるので、だいたい3月中旬です。そう考えるとそろそろですね。芽出しをするために早めに購入している方が多いと思いますが、私が購入する頃にはほとんど芽が出ています。芽が出るとジャガイモの栄養を使うわけで、段々とジャガイモ本体に張りが無くなってきているので、なんか残り物を買っている感じではあります。
さて、チガヤの除去をしながら、収穫したキャベツの葉を掘削した穴に入れていきます。やがてはミミズの餌になって土を作ってくれますので。しかしキャベツの外葉は厚いから本体から離して放置しておいてもなかなか枯れないですね。
掘った穴にキャベツの葉を埋めています
掘った穴にキャベツの葉を埋めています

チガヤの除去が終わりました。あとは、ワラビが混生している場所にチガヤがありますが、こちらは掘削するとワラビも除去することになってしまいますので、チガヤが出てきたらひたすら刈ることにします。


明日は啓蟄

二十四気の一つである啓蟄が明日です。
2日前の午後から夕方にかけて本降りの雨が降ってくれたので、雑草が勢いを増してきています。ですので、雑草抜きをサササッとやりました。そんな中、今季初めてアリがせっせと食料を運んでいる姿を見ました。まさに啓蟄です。
タンポポの芽が複数出てきました
タンポポの芽が複数出てきました

谷津の耕作準備
整備着手前の谷津の耕作地
整備着手前の谷津の耕作地

昨秋にハヤトウリを収穫した後ほったらかしだった谷津の耕作地の手入れに着手しました。
まずは三本鍬で枯草を集めていきます。カナムグラとハヤトウリのツルを力強く引っ張っていくので、竹製の熊手(レーキ)よりも力を入れることが出来る三本鍬を使います。
今日は南西の暖かくない風が強く吹いているので、汗をかく作業にはちょうど良い風です。しかも作業方向に対して追い風なので、枯草などが自分のほうに飛んで来ないので助かります。
表面の枯草を除去したら、土を生え始めた雑草ごと2cmほどジョレンで剥ぎ取って除去していきます。漁具のジョレンではなく農具のほうの板状のです。
ここは台地の畑には生えない名前が分からない雑草が生えてくるので(今度調べてみます)、その種ごと除去するのに土を剥ぎ取ってしまうのです。こうすれば、かなりこれからの除草作業の手間が減ります。
この場所は小川に近いほうの南半分が水漬いていて、歩いても長靴が沈み込み、土はジョレンから離れないので、いちいち足で土を落とします。まぁ元は田んぼだった所ですから仕方ないですが。春になってセリも出始めました。その土質を生かして、ここではエンツァイ(パクブーン、空芯菜)を栽培します。今回は野ウサギに食べ尽くされないように防御します。
そんな水漬いている状態ですが、現在の谷津の小川は全く水が表面に見えません。渇水です。雨が降っても地中に浸み込んだままで飽和状態にならず、水が流れないのです。
北側の土はコロコロとした粒状で、パッと見で確認できた3種類のミミズが沢山います。なかでもシマミミズ(キジミミズ)が目立ちます。川釣りや河口域のマハゼ釣りで、釣り具屋さんで買った釣り餌と同種のミミズです。
ここはハヤトウリにします。谷津の斜面に好き勝手に這わせてやります。そういえば、ハヤトウリを種用に保存しているのですが、どうなっているのか確認するのを忘れています。早々に確認しなくては。
さて、南側の土の剥ぎ取りは容易ではないので、次回にも分けて行うことにしました。
農作業では下ばかり向いているので、水漬いた所に生えている柿の木にまとわりついていたカナムグラとカラスウリのツルを、上を向いて取ってあげました。昨秋は1、2個しか成らなくて、他の柿の木も異常に少ない成りでした。今年はどうなることか?
谷津での今日の農作業は終了
谷津での今日の農作業は終了

作業を終えて谷津を離れると、ヒヨドリに似た鳥が2羽(つがい?)が柿の木に止まりました。越冬中のツグミです。こちらの様子を伺いながら用心深く、土があらわになった地面に1羽ずつ降りて虫を捕食しています。ミミズでしょう。
さぁ、農閑期は終わりです。






管理者 : Masa
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2017年3月2日木曜日

栃木県の焼き物

益子焼 

益子焼の始まり

下野国那須郡の黒羽(くろばね)藩益子村根古屋(現在の栃木県芳賀郡益子町)の村名が由来の益子焼は、幕末(江戸時代末期)のペリーが浦賀に来航した嘉永6年(1853)に誕生したと言われています。
お隣の笠間焼が江戸時代中期末の安永年間(1772-1781年。1772年は11月16日に明和から安永に改元、1781年は4月2日に天明に改元。)に窯が開かれたのと比べると、約80年遅い開窯です。
陶祖(陶器を焼いた開祖)は笠間焼の技術を学んだ大塚啓三郎です。
黒羽藩は大塚啓三郎を御用陶器師として登用し、陶器の生産を奨励しました。製品は日用雑器が主で、地理的に遠くはない大都市の江戸へ販売されていました。
安政2年(1855)、塩谷郡長井村(現在の矢板村)において白土が発見されてからは、京焼(京都で焼かれる陶磁器の総称)と同じような絵付を施し、その結果人気が出たのでしょう、需要が増加したとのことです。
江戸時代の益子焼は、骨董界においてほとんど販売されていないような気がします。江戸時代のものといっても、20数年しか期間が無かったですが。日用雑器が主な益子焼では消耗品として消えていってしまったのでしょう。しかし、京焼風の益子焼はどうだったのでしょうか?京焼として売られているもののうちの一部は、益子焼だったりすることがあるのかもしれません。






明治時代以降の益子焼

廃藩置県によって他の産地の焼き物と同様に、益子焼も藩の庇護を失いますが、益子焼は日用雑器が主だったので、民間経営に移行することが難しくなかったようです。ただし、陶器生産に専従するような状況にはなれなく、農業にも従事するような生活様式だったとのことです。
明治14年(1881)に現在の東北本線の上野から宇都宮間が開通すると、東京方面への販路が拡大していきます。笠間焼の水戸線は開通がこれより8年後のため、益子焼のほうが販売に有利だったことでしょう。
明治中頃には山水土瓶の販売が好調で、益子焼は土瓶専門とまで言われたそうです。
明治36年(1903)には益子町陶器協同組合が結成されて、その直営の益子陶器伝習所が設立されています。益子陶器伝習所はその後に改称などを経て、平成15年(2003)からは「栃木県産業技術センター 窯業技術支援センター」となっています。
大正9年(1920)には、英国人陶芸家のバナード・リーチと濱田庄司が渡英し、大正13年(1924)の帰国後に濱田は益子に定住をします。それから益子焼の様相が民芸運動と相まって一変しました。濱田は益子焼の山水土瓶に惹かれて、益子焼の作陶に関わっていくのです。昭和30年(1955)には重要無形文化財技術保持者、いわゆる人間国宝になっています。

益子焼の施釉と技法

釉薬は、糠白釉・灰釉・飴釉・青釉・並白釉・柿釉・黒釉等が用いられ、刷毛目・掻落とし・櫛目・筒描き・流し描き等の技法が用いられています。

益子焼の埦
益子焼の埦

上の写真の益子焼の埦は、釉薬が施されていない土味が出ている素朴なものです。ちょっとだけ深い緑色の自然釉がかかって、見た目は古代の須恵器に似ていてお気に入りです。
胎土には長石が多く含まれていてそれが目立っています。

益子焼の埦のヘラ状工具での削り
益子焼の埦のヘラ状工具での削り
外面はロクロ成形。上半分を回転させながら撫でて、下半分は回転させながらヘラ状の工具で削っています。ヘラで削った所は長石があらわになって、手触りはだいぶざらつきます。
益子焼の埦の内面
益子焼の埦の内面
内面は撫でてロクロ目が顕著です。


佐野厄除け大師

益子焼の窯元巡りの途中に足を延ばして(ちょっと距離がありますが)、佐野厄除け大師の参拝はいかがでしょうか?一度は訪れたい関東の三大師です。
佐野厄除け大師
佐野厄除け大師

峠の釜めし

関東甲信越地方在住の方には馴染み深い「峠の釜めし」。その陶器製の容器が益子焼で、窯元の「つかもと」で生産されています。容器は再利用出来ますので、長い間持っていました。
子供の頃、妙義山方面へ林間学校に行った時のお弁当が、株式会社荻野屋(おぎのや)の峠の釜めしだった覚えがあります。久しく食べていないので、急に食べたくなりました。釜飯とおこわが大好きなのです。そういえば、以前おこわを購入していたお店の主人が戦後に旧満州(中国東北部)から引き揚げてきた人で、その数種類あるおこわがとても美味しかったのですが、体調不良で閉店してしまって。それからはあの味に勝るおこわに出会っていません。何度か作っているところを店先から見たのですが、大きな木製の蒸し器で蒸気がモクモクと上がっていて、夏場は汗だくで作られていました。


現在の益子焼の窯元は栃木県内に数多く存在し、ゴールデンウィーク中と11月3日前後には益子町内で「益子陶器市」が開催されています。

かたくりの花まつり(佐野市)

かたくり (佐野市万葉自然公園かたくりの里。いつの年かの3月中旬。)
かたくり
(佐野市万葉自然公園かたくりの里。いつの年かの3月中旬。)

来週の後半、3月中旬から下旬には、佐野市万葉自然公園かたくりの里で「かたくりの花まつり」が開催されています。佐野厄除け大師を訪れたらこちらも軽いハイキング気分でお勧めです。
かたくりの花の開花状況で開催日及び期間が変動する場合がありますので、公式ホームページでの確認が必須です。かたくりの花まつりの期間終了は4月上旬と記載しているホームページがありますが、3月末で期間が終了する場合がありますので要注意です。





参考文献 : 黒田一哉 1988『図鑑 日本やきもの巡り』, 株式会社光芸出版
             : 佐々木秀憲 2000『産地別 すぐわかる やきもの の見分け方』, 株式会社東京美術
       : 成美堂出版編集部 2004『やきものの事典』, 成美堂出版
     : 日本歴史大辞典編集委員会 1973『日本史年表』, 株式会社河出書房新社
     : 真尾 栄 1996『益子・笠間やきもの紀行』, 主婦と生活社
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