2016年10月24日月曜日

鍋島焼

高級磁器鍋島焼

靄がかかる大川内山
靄がかかる大川内山
現在でも鍋島焼は高級品のイメージです(個人的見解)。

藩窯(御用窯)

鍋島焼は現在の佐賀県伊万里市、江戸時代の肥前国佐賀藩(別名肥前藩及び藩主の名から鍋島藩)で焼かれている磁器です。
鍋島藩の俗称のほうが通じやすいですかね。
藩窯(御用窯)は江戸時代の藩直営の窯で、将軍家への献上品や諸大名・公家への贈答品として高級な磁器が生産されていました。外様大名のメンツもあったのでしょう。 
「鍋島は支配者のやきもの」とまで言われることがあります。 
藩窯は、寛永5年(1628)に佐賀県有田町岩谷川内に初代藩主が陶器方役を派遣した時から開始されたと伝えられています。
寛文元年(1661)に有田町南川原山に窯を移し、延宝3年(1675)には佐賀県伊万里市大川内山に移し、現在に至っています。
この鍋島焼の歴史(時期)については少ないながらも諸説あります。藩窯であるのに、いまひとつ判然としていないようです。文献が追加発見されて、窯跡の発掘調査結果と合致すると良いですね。
最盛期は元禄年間(1668~1704)で、やはり元禄です。

色鍋島

色絵付の藩窯磁器を色鍋島と称しています。
他に染付・青磁等もありますが、やはり鍋島焼といえば、藍色(染付)・赤色・緑色・黄色の4色での色絵付けのデザインが大胆な色鍋島ですかね。
金彩がほとんど用いられていないのも特徴です。
皿の内面に描かれた色絵も良いのですが、高台に巡らされた櫛歯状の染付(櫛高台)が印象深いです。贋作はこれを真似ようとしますが、結果は何か不自然な仕上がりです。


現在の鍋島焼

明治時代になり、武家政権が終わって藩窯は終わりを迎えましたが、明治10年(1877)精巧社を設立し復興を図ります。
明治・大正時代の鍋島焼はどうだったのでしょうか?こちらは後日に。
現在、「秘窯の里 大川内山」では、伊万里鍋島焼協同組合の組合員24窯元が紹介されています。

今泉今右衛門

「酒井田柿右衛門」と並んで広く知れ渡る「今泉今右衛門」。
平成26年(2014)には、十四代今泉今右衛門氏が重要無形文化財「色絵磁器」保持者(人間国宝)に認定されています。
江戸時代の話しに戻りますが、今泉今右衛門家は藩の保護のもと、御用赤絵師として色絵付を行いました。
赤絵窯(色絵付用の窯)を焚き続け、赤絵の技法は家督相続法で一子相伝として保護されていたのです。 
今右衛門窯は有田町赤絵町にあります。有田を訪れた際に柿右衛門窯へは行ったのですが、時間不足で今右衛門窯には行かれず残念な思い出があります。
今度は訪れたいですね。

次は「柿右衛門」です。こちらからどうぞ。







参考文献 : 朝日新聞西部本社 1975 『色鍋島 – 日本磁器の精華 肥前鍋島藩御用窯の名器 -』 ,朝日新聞西部本社企画部
     : 矢部良明 1992 『日本やきもの史入門』, 株式会社新潮社
管理者 : Masa
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