大堀相馬焼
まずは、大堀相馬焼と相馬駒焼の違いについてです。
大堀相馬焼は磐城国相馬中村藩の庇護の下、現在の双葉郡浪江町大堀で開かれた民窯で、相馬駒焼は現在の相馬市で開窯された元は藩の御用窯です。いずれも文様に「走り駒」を描きます。
なお、江戸時代において大堀相馬焼は「相馬焼」と呼ばれていました。
大堀相馬焼の湯飲み碗 |
底部の造りは、写真左側のものが二重になっています。 |
大堀相馬焼の始まり
18世紀(1700年代)初め、或いは1690年の開窯と伝えられていますが、元号では元禄になりますので、元禄年間に始まったということです。
陶祖というべき人物は藩士の半谷休閑で良いのか、半谷が下男である左馬に作陶を命じたことから相馬焼が焼かれ始めました。
大堀相馬焼の昔
江戸時代後期の19世紀の初めから中頃においては、農家の副業として近隣にも窯業が普及し、窯が35基、窯元100軒を数える盛況だったということです。
しかし、明治時代になって廃藩置県が行われた結果、他の焼き物の産地と同様に藩の庇護を失って、ここで衰退が始まっていきました。
しかし、第二次世界大戦後には需要が上向き、たとえばアメリカ向けには「ダブルカップ」などとして、窯業が再興しています。ダブルカップの呼び名は以下に記載した「二重(ふたえ)焼」の形状からきていると思われます。
なお、栃木県の益子焼は大堀相馬焼の流れを汲むものです。
技法・特徴
「二重(ふたえ)焼」
器の二重構造によって、液体が入る器(内側)と手で持つ器(外側)の間が離れているため、器内の熱が直接手に伝わらない仕組みです。この二重焼は用途を容器とする焼き物としてはとても珍しいものです。
さらに透かしも入っているため、焼成時にも高度な技術が必要なことでしょう。
二重焼と透かしと青ひび |
「青ひび」
釉薬と素地の収縮率の違いによって窯から出された時に貫入(かんにゅう:不規則な網目状のひび)し、そのひびが拡がって模様と化します。その貫入音は「ふくしまの音30景」に認定されているほど澄んだ心地が良い音です。
釉薬は澄んだ薄緑色の青磁釉のほかに、灰釉、飴釉、白流釉がありまして、青磁釉に効果をもたせるように使用されていたりもします。
「走り駒」
相馬中村藩の御神馬を、狩野派の筆法といわれている見事な筆使いで一気に描き上げる走り駒。この御神馬は左向きに疾走しています。
走り駒 |
陶芸の杜おおぼり・窯元訪問
現在は東日本大震災後の原発事故の影響により帰還困難区域に指定されているため、浪江町に所在する元の「陶芸の杜おおぼり」及び震災前の窯元を一般の人が訪ねることは出来ません。
追記2017.04.12
「陶芸の杜おおぼり」での放射線量は福島民報朝刊(2017.04.08)によると、3.91マイクロシーベルトと依然として高いままです。
しかし、浪江町全域に出されていた避難指示は、平成29年(2017)3月31日に「帰還困難区域」を除いて解除されています。これにより、太平洋側の区域では復興に向けた動きが一歩前進しました。
しかし、浪江町全域に出されていた避難指示は、平成29年(2017)3月31日に「帰還困難区域」を除いて解除されています。これにより、太平洋側の区域では復興に向けた動きが一歩前進しました。
追記終わり。
震災前には数度、陶芸の杜おおぼりと窯元を訪れています。
いつの年かのゴールデンウィーク中には「大せとまつり」が開催されていて、とても賑わっていました。緑青(ろくしょう)のような釉薬が掛かった小さめの湯飲み碗と、同じ釉薬が掛かったコーヒーカップを買ったり。また、川遊びが好きなので、近くの高瀬川で水に親しんだりしました。ちなみにこれらの器は普段毎日使っていて、洗浄ミスによりちょこっと欠けたりしていますので、いつか金直し(金継ぎ)をしたいと思っています。
高瀬川と四時川
高瀬川といえば、震災があった年にアユ釣りのお供に行こうと予定していたのが不可能になってしまって、もっと早く行っておけば良かったのにと、いまだに後悔しています。
その後、福島県浜通りのアユ釣りが出来る川を探したら、いわき市の鮫川水系の四時川がありました。もちろん放射性物質は検出されていません。こちらも自然豊かでアユ釣りのお供にはもってこいでした。
四時川に行くと、川の流れを目の前にして釣りをしたくなり、渓流釣り遊漁券を購入(店売りの日釣りで1,500円)しました。
しかし、釣行を予定した当初は釣りをするつもりが無かったので、エサを持って行っていなかったのです。
四時川と何故かマネキン |
エサがないので川石をひっくり返して水生昆虫を探しましたが、エサになるサイズのものがいませんでした。そして水に親しみながら探すことおよそ1時間、陸に近い場所でたまたま小さなミミズが一匹だけ捕れました。渓流竿にウキを付けないで、その代りになる小さな目印を付けた脈釣りをやったら、一発で当たりが来て釣れました。約20cmのヤマメです。それで釣りは終わりにして、あとは山々と川の流れを見ていました。
高瀬川での釣りはいつ出来るのでしょうか...。
浪江町での陶芸の里に話しは戻って
窯元の松助窯では、併設されている「亀田集古館」で展示されている江戸時代からの製品を見学し、雰囲気がある売り場で製品を購入しました。
ほかの窯元も訪れていますが、もっと浪江町での窯元訪問をしたかったですね。浪江町に存在した窯元25軒は震災後に全て操業中止に追い込まれてしまいました。
しかし、現在は浪江町の西端に接する(ちょっとだけ)二本松市の協力を得て、大堀相馬焼協同組合が小沢工業団地内で窯業を再開しています。名称は「陶芸の杜 おおぼり 二本松工房」で仮設工房となっていまして、事前予約での陶芸体験も催されています。
また、2017年3月3日〜3月5日には福島空港において「大堀相馬焼 春の新作展」が大堀相馬焼協同組合の主催で開催されました。新作展には県内各地に避難している7窯元が参加しています。
ほかに僅かですが福島県外でも窯業を再開されているようです。
いずれも大堀での陶土・釉薬との違いに苦労されていることでしょう。
これからも応援していきます。
参考文献 : 青柳栄次 1999『全国焼き物体験』,株式会社昭文社
: 黒田一哉 1988『図鑑 日本やきもの巡り』,株式会社光芸出版
: 東北陶磁文化館 1987『東北の近世陶磁』
: 日本歴史大辞典編集委員会 1973『日本史年表』, 株式会社河出書房新社
: 松宮輝明 1985『福島のやきものと窯』, 歴史春秋出版株式会社
: 矢部良明・水尾比呂志・岡村吉右衛門 1992『日本のやきもの8 薩摩・民窯』, 株式会社講談社
参考H.P. : 浪江町
: 大堀相馬焼協同組合「陶芸の杜おおぼり」
管理者 : Masa