2017年1月6日金曜日

薩摩焼の窯場5

竪野系・苗代川系・龍門司系・元立院系・薩摩磁器系・能野(よきの)系

近世(江戸時代)の薩摩焼の窯場は6系統存在します。

薩摩磁器系と能野(よきの)系の窯場

今回は薩摩磁器系と能野(よきの)系の窯場についてのお話です。 

薩摩磁器系

明治4年(1871)廃藩置県によって藩の庇護が無くなり、ほとんどの窯は衰退し、あるいは終りを迎えたようです。

平佐北郷(ほんごう)窯

平佐焼の始まりは、安永7・8年(1778・1779)の可能性があるようです。
現在の薩摩川内市天辰町に所在し、平佐焼で最初に築かれた窯と考えられています。窯跡は全長約13mで、扇形の連房式登り窯と考えられています。

平佐大窯

現在の薩摩川内市天辰町に所在。窯跡の全長は約46mあり、近世における薩摩焼の最大規模の窯で、扇形の連房式登窯です。窯は18世紀末か19世紀初め~幕末(江戸時代末期)まで稼働していたと考えられています。

平佐新窯

現在の薩摩川内市天辰町に所在。扇形の連房式登窯で、窯は19世紀中頃~幕末(江戸時代末期)まで稼働していたと考えられ、大窯と同時期の操業時には平佐焼の最盛期を迎えていました。
道の駅いぶすき
「道の駅いぶすき」訪問時、海に近づいてみた。

弥勒窯

天明6年(1786)、現在の姶良市加治木町に連房式の登り窯が開かれました。窯を開くのにあたって、現在の長崎県佐世保市三川内から三川内焼(磁器)の陶工が招かれているようです。

脇本窯

安永年間(1772~1780)、現在の阿久根市脇本に窯が開かれた、全長約20mの扇形の連房式登り窯です。

重富皿山窯

文化14年(1817)頃、現在の姶良市に窯が開かれましたが詳細は不明です。

大曲窯

文化15年(1818)、現在の阿久根市高松大曲に西村洞村によって窯が開かれました。

南京皿山窯

19世紀後半に苗代川、現在の日置市美山に2基(全長約22mと約17m)の連房式の登り窯が開かれました。

日木山(ひきやま)窯

万延元年(1860)、現在の姶良市加治木町に連房式の登り窯が開かれました。あと数年で明治時代を迎えようとしている激動の時代です。アメリカでは、エイブラハム・リンカーンが大統領に当選した年です。
窯を開くのにあたって苗代川から陶工が招かれています。


能野(よきの)系

能野焼

窯跡は種子島の西之表(にしのおもて)市住吉能野に所在。18世紀前半には開かれていたと考えられています。焼締陶の徳利・甕・花瓶等を焼いていましたが詳細は不明です。
以上で近世の薩摩焼については一旦終わりです。ほんの一部の規模が小さい窯跡の掲載は省いてありますので、時期をみてそれらの掲載をしようと思っています。

前回の薩摩焼についてはこちらからどうぞ。

参考文献 : 沈 壽官・久光良城 1986『薩摩 日本のやきもの 1』, 株式会社淡交社
     : 日本歴史大辞典編集委員会 1973『日本史年表』, 株式会社河出書房新社
     : 矢部良明・水尾比呂志・岡村吉右衛門 1992『日本のやきもの8 薩摩・民窯』, 株式会社講談社
     : 渡辺芳郎 2003『日本のやきもの 薩摩』, 株式会社淡交社
     : 渡辺芳郎 2012「近世薩摩焼の生産と藩外流通」『江戸遺跡研究会会報 No.133』,江戸遺跡研究会
     : 渡辺芳郎 2013『平佐焼の考古学』





管理者 : Masa
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