2017年4月18日火曜日

青森県の焼き物1

津軽金山焼

焼き締めの器 
津軽金山焼
津軽金山焼
  
津軽金山焼との出会いの前に
数年前のゴールデンウィーク(4月下旬から5月上旬にかけての黄金週間GW)、私の中での呼び名は「ジーダブリュゥ」に、青森県五所川原市に所在する「斜陽館」を将来の弊社役員と訪れることになったのです。新しく導入した車の長距離走行感覚をつかむためのドライブでしたが、前政権で実施された「日本全国1,000円ETC高速道路料金」を試してみるためでもありました。
GWなのに宿泊予約無しで行き当たりばったり、結果は1泊3日(2日目は車内で仮眠)と短期間の旅になりました。

津軽金山焼に出会った日(1日目)
GWの初日03時頃の出発でも、東北道の郡山JCTに近づいた06時前で既に長い長い長い渋滞が発生していました。これを抜けると朝の時間がだいぶ過ぎて、皆さんもお出掛けモード全開でどんどん高速道路に流入してきます。国見インターまではもうノロノロかストップアンドゴー。
宮城県に入って仙台エリアを抜けると、交通集中による渋滞は所々で発生するにとどまり、がっつりストップは少なくなっていきました。
岩手県内に入ると渋滞はほぼ無くなって快適な走行となり、順調に走行距離を延ばしていきます。
秋田県を通っていよいよ青森県です。これが初の青森県訪問。
浪岡IC出口で電光表示された料金は1,400円也。大都市近郊区間から出発したので400円が追加されていました。

五所川原市に入って、太宰 治氏の生家「斜陽館」を見学。既に15時を過ぎています。出発から12時間ですか。掛かり過ぎ。
斜陽館
斜陽館
  
そしてお土産屋さんで褐色の肌の「津軽金山焼」に出会います。
「焼き締めの肌がきりっとしていて素敵だなぁ」なんて見ていたら、気の利いた将来の弊社役員がささっとビアカップを購入してくれたのです。ありがたい、ありがたい。 
龍飛崎灯台
龍飛崎灯台

それからいろいろな観光地を訪問して龍飛崎に到着。「津軽海峡・冬景色」のメロディーが漁港から?風に乗って聞こえたり。
この後、宿探しで数々の漁師町を走り抜け青森市内へ大移動。夜も遅くなってきてビジネスホテルなどのホテルは空きがなく、小さなビジネス旅館が無理を聞いてくれたので泊まることが出来、朝を無事迎えました。旅館の仲居さんが親切でお話し好きな味のある方で。ご健在かなぁ。また訪れたいですなぁ。

津軽金山焼に出会ってから2日目
帰宅を目指しながらの観光です。
いつのまにか八甲田山の山麓を通っていて凍結注意の電光表示が出ていましたが、夕方前の外気温は6度だからまだ大丈夫。夜間以降は危ないですね。
5月初めの八甲田山麓の雪
5月初めの八甲田山麓の雪
  
県境の十和田湖に向かう標高の高い道では、道路脇に残雪が増えてきて少し焦りました。ノーマルタイヤだし。夕方の十和田湖はひと気が無く静寂。湖はもの凄い透明度で、ボーっと湖面を眺めていました。
5月初めの十和田湖畔
5月初めの十和田湖畔

 青森県をあとにし、秋田県鹿角市の大湯環状列石に夜ふらっと訪れたりしてのんびり帰宅。
総走行距離は約1,800kmでした。



津軽金山焼について
津軽金山焼に出会った日(後)までのお話が長くなりました。 
津軽金山焼については参考文献がとても少ないため、津軽金山焼を作り出した松宮亮二氏が口述・監修の『土と炎とじょっぱりと 聞き書き 津軽金山焼の挑戦』から情報を得ています。
津軽金山焼の説明書
津軽金山焼の説明書

津軽金山焼の始まり
昭和60年(1985)に公務員を辞した松宮亮二氏が、青森県五所川原市金山に登り窯を築き津軽金山焼が作り出されます。
現代に始まった焼き物です。

津軽金山焼の特徴
「釉薬を掛けない焼き締め」
以下、引用です。

焼き締め…一二〇〇~一三〇〇度の高温で焼き締めることによって粘土自体が溶融し、やきものとしての強度が上がるため、土器とは違い水が漏れない。化粧土も釉薬もかけず高温で焼かれた「焼き締め」としては、備前焼、信楽焼き、越前焼などが代表的。」(松宮亮二 2007,p9)

津軽金山焼。外面の櫛描。
津軽金山焼。外面の櫛描。

胎土
胎土には金山大ため池の粘土50~60%、残りは信楽の合成土を使用しています。
他の焼き物の産地の多くが地元の粘土・陶石を使うことが出来ずに、よそから購入しているのを考えると、だいぶ地元産の比率が高いですね。
しかも、ため池の底をさらうことによって、土砂の堆積による池の容量低下を防ぐという一石二鳥です。

成形
成形技法は5種類で、ロクロ、機械ロクロ、流し込み鋳込み、圧力鋳込み、たたらがあります。このうち、圧力鋳込みは美濃焼、機械ロクロと流し込み鋳込みは益子焼からの技術を直接取り入れています。 
津軽金山焼。内面の整形。
津軽金山焼。内面の整形。


窯は、備前焼の窯を参考にしたという登り窯を自分で作られています。その後は、大窯である金山式登り窯、金山式穴窯などを築いています。
津軽金山焼。底部に「綾」銘。
津軽金山焼。底部に「綾」銘。

津軽金山焼の組織として
平成3年(1991)に有限会社津軽金山焼を設立。
平成8年(1996)に津軽金山焼窯業協同組合を設立。
平成10年(1998)には、株式会社津軽金山焼が設立されます。

ほかにも数々の活動がありますが、20年前には日本最北の須恵器の登り窯「鞠ノ沢窯」を津軽金山焼の窯場に復元して、須恵器の焼成に成功しています。


イベント
今年、平成29年(2017)は4月29日(土)~5月7日(日)まで津軽金山焼本店において「春の陶器祭り」が開催されるとのことです。詳細は公式ホームページにてご確認ください。


終わりに
参考にした本、『土と炎とじょっぱりと 聞き書き 津軽金山焼の挑戦』は、自分の信念で仕事をやり遂げようとする方にお勧めです。





参考文献 : 松宮亮二 2007『土と炎とじょっぱりと 聞き書き 津軽金山焼の挑戦』, 津軽金山焼
管理者 : Masa
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